なんだか似ているこの二作 – 『マネー・ショート 華麗なる大逆転』と『スポットライト 世紀のスクープ』を観る

『マネー・ショート 華麗なる大逆転』、そして『スポットライト 世紀のスクープ』

どちらも近年のアメリカを舞台とした実話ベースの実写映画作品だ。
どちらも今年のアカデミー賞作品賞にノミネートされた作品だ(勝者は『スポットライト』)。

『マネー・ショート』はアカデミー脚色賞を、
『スポットライト』はアカデミー脚本賞を獲得している。

『スポットライト』邦題のサブタイトルは「世紀のスクープ」だが、
『マネー・ショート』原作本の邦題は「世紀の空売り」だ。

なんだか紛らわしいこの二作。
こないだ封切られたばかりの『スポットライト』を観て、鑑賞済みだった『マネー・ショート』に凄く似ていると思った。


『マネー・ショート』概要

2005年から2008年のアメリカが舞台。
サブプライム住宅ローン危機を早期から予見し、高騰する住宅ローン証券の「空売り」によって住宅バブルの崩壊に賭けた男たちの物語だ。

世界金融危機の顛末は2016年に生きる我々はなんとなく知ってつもりでいるが、この映画を観るとその中身をさっぱり分かっていなかったと痛感させられる。
さらに言えば、この映画を観て原作本を読んだ後も、この金融危機を詳細に語れる気がしない。

それくらい複雑な経済システムで営まれたいたのだ。

当時ウォール街で住宅ローン証券を売って儲けまくっていた連中もその複雑さとバブルの狂乱とでもって、まさかそれが破綻するとは思っていなかったというのが大勢だったようだ。

そんなバブルの破綻の徴候を掴んだはいいが、それを一体どう利益に繋げよう。
そこで登場人物たちは「住宅ローン証券が破綻したら莫大な利益を得るが、それまで多額の保険金を払い続ける」という金融商品を証券会社に作らせ、経済の破綻に賭ける勝負を仕掛けるのだ。
先述の通り証券会社側はこのバブルが崩壊するだなんて露ほども考えていないため当然この勝負にのる。その勝者の行方は……御存知の通り。

登場人物たちの一部は本当に経済が破綻することの裏を取るために様々な調査を行う。
なぜサブプライム・ローン証券が大量に取引されるのか。
なぜサブプライム・ローン証券に最高の格付けランクを付けられているのか。

全貌が見えてくるに従って数字的な論理や人間的な倫理では納得出来ない金儲け主義の暴走が姿を現す。
そのおぞましさを、多くのコメディ映画を手がけたアダム・マッケイ監督らしい自由な発想でもって、ブラックなコメディタッチで描かれる。

この映画が最後に突きつけるメッセージの重さは、邦題サブタイトルの「華麗なる大逆転」といった楽天的なイメージとはまるで対極にあり、ズシンと来るものだった。

――この複雑な経済システムに人々が目をくらまされたままでは大恐慌はまた起きるぞ、と。

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『スポットライト』概要

2001年から2002年のアメリカが舞台。
カトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきた神父による児童への性的虐待事件を追求するボストン・グローブ新聞の《スポットライト》チームの物語だ。

ボストンではカトリック教会の力が強く、ボストン・グローブ新聞の定期購読者の約半数がカトリック信者。
そんな環境下でカトリック教会のスキャンダルを大々的に記事にするということは、周囲の全てと敵対することを意味する。

そんな強大な権力システムに対して、ジャーナリズムが成すべき正義が描かれる。

調査のきっかけは一人の神父による男子児童への性的虐待疑惑に関する小さなコラムだった。
それが外部からやってきた新任の編集長の目に止まり、地元ではタブー視されていたこの事件を深く掘り下げるよう《スポットライト》チームに指示するところから物語が始まる。

もちろんチームの面々もカトリック教会とは遠からぬ関係のある人々だったが、調査を進めるにつれてその異常性が浮き彫りになっていく。

被害者団体のメンバーによれば、ボストン内だけで少なくとも13人の神父が性的虐待に手を染めているという。
神父による性的虐待について長年研究を続ける心理療法士によれば、全神父の6%が小児性愛者だという。

ならば大量の被害者がいて然るべきだ。
なぜそんな事件が何十年も明るみに出ないままなんだ?

そこにはカトリック教会の権力が働いていた。
被害者はみんな貧しい子供。弁護士を雇い、多額の示談金を払えば裁判にもならず内々で黙殺できる。
問題を起こした神父は「病気休暇」と称して担当地区を移動させる。一度問題を起こしても、裁かれることなくまた別の教区で神父を続けられたのだ。

そんな性的虐待を受けた児童たちの傷は深い。
両親が信奉し、自身も信奉する教会の神父にレイプされたとなれば、もうその児童は神を信じることなどできなくなるだろう。
作中では何人もの被害者役の人物が出てくるが、事件の話となったとたんに彼らの眼の色が変わる様子には恐怖を覚えた。

クライマックスではついにカトリック教会全体が事件を隠蔽していたという記事が掲載され、それに対する人々からの「反応」に深く感動した。

映画の最後では《スポットライト》報道後に神父による児童への性的虐待が判明した全ての地域のリストを掲載してクレジットタイトルに移行する。
そのリストの数のなんたることか。《スポットライト》チームが暴いた事件のおぞましいさを最後に思い知らされる。

一般には手を出すことすら難しい強大な権力システムに怯むことなく悪行を追求することこそが、ジャーナリズムの真の価値だと感じた。

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温度は違えどテーマは同じ

方や経済ブラックコメディ、方やシリアスなヒューマンドラマ。
その外面に共通点を見つけることは難しいが、肝心の脚本の構造ははっきり似ている。

どちらも強大な権力システムを目眩ましにして行われる悪行と、その目眩ましに怯むことなく直視することでなんとかシステムに一撃を喰らわそうとする人々という構図だ。

難解な専門用語で煙に巻く。信仰心を利用して疑惑を躱す。
そんな抵抗に対して足を動かし、データを集め、しかるべき手を打つ。

調べるほどにとんでもないことがすぐそばで横行している事実があらわになる。
それに伴い観ている我々も登場人物たちと同様に怒りと困惑を覚える。

じわじわと世界が悪行に溢れているという事実を叩きつけられる感覚は両作共通だ。

そこから『マネー・ショート』では、その悪行も巨大になり過ぎたシステムゆえに一度破綻しようとも正しきれず、また暴走の予兆を感じさせて終わるという苦い後味を残す。
一方の『スポットライト』では、その悪行をこれ以上ない形で公表し、それからのカトリック教会との激しい闘いを予感させつつ、しかし希望をもった形で幕を閉じる。

結末は真逆だが、しかしテーマは同じだ。
複雑怪奇なシステムに潜む悪、それを直視する強い心。
同じ時期に公開されたこの両作ともアカデミー作品賞にノミネートされている辺り、これは現代のアメリカの正義に対する一つのテーマなのかもしれない。

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