語るは難し、されど沈黙は憚られる – 『沈黙 -サイレンス-』を観る

映画『沈黙‐サイレンス‐』公式サイト

監督:
マーティン・スコセッシ

出演:
アンドリュー・ガーフィールド
窪塚洋介
アダム・ドライバー
リーアム・ニーソン
イッセー尾形
浅野忠信

17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教(信仰を捨てる事)したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。
日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の井上筑後守は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。そして次々と犠牲になる人々——

守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。追い詰められた彼の決断とは——

『沈黙 -サイレンス-』公式サイトより

ハリウッドの大監督が撮る本格時代劇

テーマ性を云々する前に、まずは「偉大な」と装飾しても大げさでない巨匠・マーティン・スコセッシが本格時代劇を撮るというこの現象自体のインパクトを確認しておきたい。

マーティン・スコセッシ。その代表作を挙げればきりがない。『タクシードライバー』、『レイジング・ブル』、『グッド・フェローズ』……。
そして個人的に生涯ベスト級の一作である直近作の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』

ニューヨークを舞台とした作品が多いのが特徴で、キリスト教的な題材を扱った作品が多いとはいえまさか時代劇を撮るなんて、と最初は驚いたものだ。

しかし、スコセッシは1988年に遠藤周作が著した『沈黙』と出会い、その当時から映画化を望んでいたというのだ。28年越しの執念の作品なのである。

ハリウッドで製作される時代劇映画となると『ラストサムライ』や『47RONIN』あたりがパッと浮かぶが、どちらも「サムライ」「チューシングラ」といった日本的イメージをハリウッド的スペクタクルで描いた感じであまり時代劇という感じはしない。
対して『沈黙 -サイレンス-』は、きちんと「時代劇」というフォーマットの上で、日本人が観ても違和感のないクオリティでもって作り込まれている。

そのリスペクトと丁寧な仕事ぶりには頭の下がる思いだった。

公開までの長い道のり

スコセッシが日本の小説を原作に映画を撮る。私がそのことを知ったのは、日本では2014年初頭に公開された『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のパンフレットでだった。
主演を務めたレオナルド・デカプリオが「近い将来、また彼(スコセッシ)とコンビを組む予定はありますか?」という問いにこう答えている。

そうであることを願っているよ。マーティは次に『Silence』(遠藤周作の「沈黙」)を作りたがっているようだし、僕自身は自分が次に何をやるのか、まだ分からない。

『ウルフ・オブ・ウォールストリート』パンフレットより

それから丸3年だ。

2015年の1月から約15週にわたって台湾で行われた撮影では撮影所で建物が倒壊し死者まで出してしまったというニュースが飛び込んでくるなどトラブル続きだったようで、公開時期もなかなか決まらずヤキモキとした時間を過ごしたものだ。

原作『沈黙』

その間に原作の『沈黙』も読んだ。

江戸時代、禁教令によって弾圧されるキリスト教といった、世界史の授業でしか馴染みのなかった題材。そんな異国の地・日本に飛び込んだポルトガル人の宣教師が肌で感じる、周囲の環境全てが脅威であるかのようなヒリヒリと雰囲気の一種のスリラー感がエンタメ的にも面白く感じた。

しかし、同時にこの小説が読者にぶつける問いの重さ、深さに思わず「うっ」と喰らった気分になった。映画でも登場する次の台詞、そのシチュエーションから多重的な苦しみに見舞われるこのシーンは忘れられない。

「さあ」フェレイラは優しく司祭の肩に手をかけて言った。「今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為をするのだ」

『沈黙』より

忘れられないあまりにこんなふざけたツイートまでしていた。

いや、ふざけてはいないのだが。決して。

勝者の論理に挫けぬために

そんな原作の雰囲気は映画という表現形式に則って見事に再現されていた。

そして、わざわざアメリカの巨匠が日本の時代劇小説を「今」、映画化する理由がしっかりと作品の中に刻印されている。
その理由についてはパンフレットでもスコセッシの口から直接語られている。

多くの困難がありながら、この映画を完成させたのはいくつか理由があります。それは今この時代の、この世界においてこそ、作られねばならなかったということです。特に、人々の信仰のあり方が大きく変わり、それを疑うようになり、宗教的な組織や施設にも、おそらくは懐疑の目が向けられている、今の世界だからこそです。

『沈黙 -サイレンス-』パンフレットより

身に覚えがありすぎる。イスラム教徒の入国を禁止すると吠えたドナルド・トランプ大統領の例を挙げるまでもなく、宗教の周りは厳しい懐疑が渦巻いている。

17世紀の日本はその究極系だった。外からやってきた宗教を弾圧し、暴力でもって棄教を迫り、極め付けは踏み絵でもって個人の精神をも踏みにじった。
もちろん、それは必要に迫られて行われたというフォローも作中できちんと描かれている。だから余計にやるせない。

特に、周到な論理によって信仰が人を救うことはない、むしろ信仰が人命を奪うのだと、主人公のロドリゴに棄教を迫る井上筑後守の恐ろしさよ。
井上を演じるイッセー尾形は外国語(英語)と日本語の両方の台詞をその独特なテンションを維持しつつ使い分けて演じることで、強烈な存在感を放っている。

地獄のような試練に見舞われた末にロドリゴが至った境地。それは是非スクリーンで観ていただくとして、個人的には原作には描写されていないラストの演出に注目したい。
ロドリゴは勝者の論理の中にその身を堕としたまま、しかしその内側ではひっそりと、その形は変わってしまったかもしれないがそれでも生涯、愛を育み続けた。それを示す小道具を炎の中に見たとき、ここにきて改めて「救い」というものについて思いを馳せずにはいられなかった。

誰もがキチジローのように弱き者である。そんな弱き者がこの過酷な世界でかろうじて生きていくために必要なもの。
もちろん、信仰を持たない自分がここでやすやすと「それは信仰である」とは安易に述べることはできないが、しかしそれに近しいものを私も所持しているように思うのだ。

私がそう思えたのは、『沈黙 -サイレンス-』と血の繋がったような、ある映画を観ているからだ。

『沈黙 -サイレンス-』と血の繋がった親戚『ライフ・オブ・パイ』

最後に、この作品と関連して『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』の話を少しだけしておきたい。

スコセッシは『沈黙 -サイレンス-』を撮影するにあたって、台湾人監督のアン・リーの力を借りた。本作が台湾で取られたのはアン・リーのアドバイスがあったからだという。
そして、本作における霧の中を船で渡るシーンはアン・リーが監督した『ライフ・オブ・パイ』の撮影のために建設された特製のプールが用いられている。

『ライフ・オブ・パイ』はそのタイトルの通り、インド人の青年パイが獰猛なトラと共に太平洋をボートで漂流する姿をファンタジックな映像美で見せる。
そんな、話を聞くだけでは「まるでありえない」と感じずにはいられないこの荒唐無稽な物語は、実は『沈黙 -サイレンス-』と通ずるところがある。
ネタバレにならないよう慎重に記すが、『ライフ・オブ・パイ』では漂流という過酷な状態をサバイブするため、「ある物」が必要不可欠だったということが最後に明かされる。その「ある物」を人為的な暴力でもって奪い取ろうとするお話が『沈黙 -サイレンス-』なのだ。

撮影場所という物理的にも、物語テーマという精神的にも、『沈黙 -サイレンス-』と近しいところにある『ライフ・オブ・パイ』をセットで観ていただきたい。


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