安易に言葉で表現できない仕事 – 『羊と鋼の森』を読む

はじめに

本作のことはタイトルくらいは知っていた。
この間映画館で本作の映画版特報が流れ、ああ、あれ映画化するんだと。

私はそれほど最近の小説は追っていないのだが、それでも本作を読み始めたのは次のツイートがきっかけだった。

たまたまRTされて私のタイムラインに回ってきたこのツイートは、何を隠そう私の地元である福井市の豪雪に関するもので、「ああ、やっと雪がおさまったんだ」とこのツイート主のプロフィールを開いたらこないだ特報を観た映画の原作者だった、と。

こうした運命的な流れで作品を意識させられたらもう読むしかないだろうと、Kindle版を購入。

金言連発の仕事小説

山生まれの主人公・外村は、高校時代にたまたま居合わせたピアノの調律に感動を覚え、調律師としての道を歩むこととなる。

本作は外村の素朴な一人称で進行する。
「下の名前がなく、外見の記述もいっさいない、濃い輪郭線を引かれない、そんな主人公」とは解説の佐藤多佳子さんの表現だが、まさにその通り。
しかし、無味無臭な主人公というわけでもない。外村はピアノの音に彼の原風景とも言える森を重ねる。そんな芯があるからこそ、調律を通して自分が望む景色を見つけようと仕事に取り組む姿は静かに熱を帯びている。

そんな外村が先輩調律師たちやお客さんとの対話を通して調律とは、仕事とはといった問いに迷い、成長していく姿が本作の面白さだ。

私もエンジニアという、相手の要望に合わせて対象物を調整する仕事をしていることもあって、学ぶことが多い小説だった。

お客さんは何を求めているか

例えば、仕事における「正解」についての次の対話。

 ところが、だ。工夫をしても、手を尽くしても、なかなかお客さんによろこんでもらえない。大概は反応がない。
「何を求められているのか、よくわからなくなるときがあります」
「ああ、あるねぇ」
どこか気楽な感じで柳さんは答える。
「でもさ、俺たちが探すのは四百四十ヘルツかもしれないけど、お客さんが求めてるのは四百四十ヘルツじゃない。美しいラなんだよ」
なるほど、その通りだ。

私はピアノについては無知だが、その音の美しさにはいくつかのパターンがあることは想像に難くない。
教科書通りの仕事をするのは基本だが、しかしそれで顧客が満足するとは限らない。
その顧客自身も本当に自分が満足する結果を想像できていない場合もある。

だからコミュニケーションを通して相手を知り、相手が真に欲している結果を引き出す必要がある。もちろん、それが仕事において最も難しいことだ。

自分の才能と諦めの時期

才能というすべての凡人が抱える葛藤については次の独白と台詞が効いた。

 僕には才能がない。そう言ってしまうのは、いっそ楽だった。でも、調律師に必要なのは、才能じゃない。少なくとも、今の段階で必要なのは、才能じゃない。そう思うことで自分を励ましてきた。才能という言葉で紛らわせてはいけない。あきらめる口実に使うわけにはいかない。経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気、そして情熱。才能が足りないなら、そういうもので置き換えよう。もしも、いつか、どうしても置き換えられないものがあると気づいたら、そのときにあきらめればいいではないか。怖いけれど。自分の才能のなさを認めるのは、きっととても怖いけれど。
「才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあっても、そこから離れられない執念とか、闘志とか、そういうものと似てる何か。俺はそう思うことにしてるよ」
柳さんが静かに言った。

物事に対して諦めるという選択をいつ、どうやって取るのか。
それは何かに打ち込んでいるときにいつでもついて回る不安だ。いつだって、自分よりそれを巧くやりこなす他者がいる。
だからいつだって諦めるという選択肢が目の前に現れうる。

しかし、その差をいつでも「才能」のせいにしては前に進めない。だから別の言葉で置き換える。本当にそれが好きならば、諦めるのは才能以外の全てを可能性を試した後だ。

憧れの先輩に言われたら惚れる台詞

最後に、個人的に好きなシーンから。はじめての調律の仕事に失敗した外村が憧れの先輩である板鳥に励まされてチューニングハンマーをプレゼントされる場面だ。

「すごく使いやすそうなだけでなく、実はすごく使いやすいのです。よかったらどうぞ。私からのお祝いです」
板鳥さんは穏やかに言った。
「何のお祝いですか」
こんな日に。記憶にある限り、僕の人生でいちばんだめだった日に。
「なんとなく、外村くんの顔を見ていたらね。きっとここから始まるんですよ。お祝いしてもいいでしょう」
「ありがとうございます」
お礼の語尾が震えた。板鳥さんは僕を励まそうとしてくれているのだ。森の入口に立った僕に、そこから歩いてくればいいと言ってくれているのだ。

失敗してヘコんだときにこんな言葉をかけられたら僕はもう……!!

おわりに

日々やる気を失いがちなこんな世の中で、それでも仕事をし続けられているのは、私の場合は映画やゲームといった創作を通して仕事という生存活動に対して新たな意味を発見してきたからだ。

まだ、私にも今の仕事に対して極めたいという情熱は、ある。
『羊と鋼の森』は、その熱に薪をくべてくれる。私にとって数年に一度は読み通す仕事小説となりそうだ。

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