「円交少女」というシリーズ – 『円交少女2 ~JKアイドル真鈴の場合〜』をプレイ その1

はじめに

『円交少女2 ~JKアイドル真鈴の場合〜』(以下「今作」)、凄かった。

そもそもが、私は前作『円交少女 ~陸上部ゆっきーの場合~』(以下「前作」)があまりにも好き過ぎるという前提がある。
この後投稿予定の今作のレビューでは前作よりもずっと高い点数をつける予定だが、それでもどちらが好きかと訊かれたら多分前作と答えるだろう。

なぜか。それは題材の好みもある。
しかし、やはり今作という良いところが分かりやすい傑作続編が作られたことで、より原点としての前作の異質さが浮き彫りになり、ますます好きになってしまったのだ。

そんな訳で、今回は『円交少女2 ~JKアイドル真鈴の場合〜』の攻略後プレイ日記としてまずは「円交少女」というシリーズについて、両作品の確信的なネタバレを避けつつ語りたい。

「円交少女」シリーズ

この記事では、前作と今作の共通項から「円交少女」というシリーズの次の特徴を見ていこうと思う。

  1. 全編バルーンウィンドウモードシステムにより女性主人公の物語が描かれる。
  2. 援助交際というものを、「若くてきれいな肉体」という時価評価による商品を、金銭やコネ、そして快楽と取引する行為として描いている。
  3. 主題歌の使い方に一捻りを利かせている。

バルーンウィンドウモードと女性主人公

作品の見た目として最も分かりやすい特徴は、やはりFrillのこれまた傑作『聖娼女 -性奴育成学園-』(以下『聖娼女』)以降搭載されている「バルーンウィンドウ」というテキスト表示で全編が構成されていることだろう。

バルーンウィンドウを簡単に説明すると、人物の台詞や心情がCG集のように吹き出しとして表示される形式。
1クリックごとに1ウィンドウずつ右から左に順番に表示され、多くは5クリック、たまに3~4クリックを1ページとして区切られている。

このバルーンウィンドウが生み出す効果については当ブログでも『聖娼女 -性奴育成学園-』レビュー『円交少女 ~陸上部ゆっきーの場合~』レビューでも言及しているが、あらためてここでまとめよう。

まずは、エロ演出での効果。
画面いっぱいにエロゼリフ! エロい! これ以外に言うこと無くない?
「エロゲーマーはエロゲのエロシーンでナニを見ているのか?」という素晴らしい実験記事がありますが、バルーンウィンドウだとどんな結果になるか気になるところ。この観点ですと、美麗CG全体を舐め回すように視線誘導させる効果がありそうだ。
これは余談だが、局部、おっぱい、顔といった大事なところをいかにして吹き出しで隠さないようにうまく設置するかといったスタッフ陣の涙ぐましい努力に思いを馳せると感謝せずにはいられない。ありがとうございます。

そして、物語演出での効果。
『聖娼女』ではバルーンウィンドウモードはエロシーンにのみ用いられており、それがエロシーン以外にも導入されたのが前作だった。『聖娼女』での実験を経て、この明らかに普通よりも手のかかる画面演出を全編に適用するだけの価値をFrillは見出したということだろう†01恐らく『聖娼女』以降の作品がすべて低価格帯の小品であることも無関係ではないだろう。
フルプライスの長編で全編バルーンウィンドウモードで演出を付けることは相当コストが掛かりそうだ。
今は亡きLittlewitchが名高いFFDシステムを全編に用いた作品が比較的ボリュームの小さな初期二作のみであることを連想してしまう。

私が思うに、『円交少女』シリーズから女性主人公メインになったことと、バルーンウィンドウモードの非エロシーンでの導入は無関係ではないと考える。
従来のADVでよく見られる画面下にテキストウィンドウを表示し、主人公の立ち絵が基本的に画面に映らないという画面構成は、主人公が他のキャラクターたちと比較してプレイヤー側に近い存在であると意識させられる。
しかし、この画面構成は女性主人公の陵辱系作品とは噛み合わせが悪い。女性キャラクターならば当然立ち絵を画面に表示させたいし、そもそも犯される対象である主人公とプレイヤーとの距離が近いというのも何か違う気がする†02もちろんそういう需要もありそうだが
そこで、テキストウィンドウを画面下部=プレイヤー側に置かず、漫画的な吹き出しで表現されるバルーンウィンドウモードは主人公の立ち絵を画面上に配置するにも自然であり、上記の問題が見事にクリアされるのだ。

『聖娼女』以降のFrill作品と、他ブランドの女性主人公陵辱物とを比較したとき、私がFrill作品は頭一つ抜けていると感じるその理由はやはりバルーンウィンドウモードによるところが大きい。女性主人公と一般的なADVの画面構成との噛み合わせの悪さから来る違和感の分だけ、それを根本的に解決しているFrill作品はリードしているのだ。

援助交際の描き方

上記の特徴のひとつを繰り返そう。
『円交少女』シリーズでは、援助交際というものを、「若くてきれいな肉体」という時価評価による商品を、金銭やコネ、そして快楽と取引する行為として描いている。

この定義に当てはめれば今作で表立って描かれる枕営業も立派な(?)援助交際だ。
そしてとりわけ重要なのは、このシリーズで描かれる援助交際シーン=エッチシーンの多くは取引であるという点である。
それが取引である以上、勝ち負けが生じうる。それはそれは、世間的に見れば醜いにも程がある男と女のゲームなのだ。

男は「次のチャンス」を引き出すための計略を巡らせ。
女は己の時価を高めて利を搾り取らんと身体を賭ける。
マウントの取り合い。どちらが上を取って腰を振るか。

そもそも、『円交少女』シリーズのエッチシーンは「面白い」のだ。
ある泣きゲーを指して「この作品にエッチシーンはいらない」とかいう篦棒がいる。それもしょうがない。感動的で重厚な、まさに篦棒好みなストーリーを、エッチシーンが停滞させているからだ。
しかし、『円交少女』シリーズではエッチシーンでもストーリーが停滞しない。シーン自体が先に述べたゲーム性を持ち、そしてその勝敗の結果が次のシーンに繋がる作りになっているからだ。

前作のプレイ直後に当時大流行していたあるアクション映画と比較した私のツイートが2年を経てなお的を得ていたので引用したい。

そしてもちろん、『円交少女』シリーズのエッチシーンは抜ける。
Frillはたくさん用意したエッチシーンをどのように並べると、力を入れたシーンでユーザーが射精したくなるかという「エッチシーン構成」に力を入れているブランドだと私は思っている。特に、すべてのヒロインにとって必ず一度しか存在しない処女喪失シーンをいかに効果的なところに設置するかという点に作品の大部分を賭けていると思っている。
例えば、前作はその傾向が顕著で、「焦らせるエッチシーン」と「抜かせるエッチシーン」を明確に分けて各々設置しており、その時点で未使用の一枚絵を「抜かせるエッチシーン」にぶつけるという戦術を見せた。
しかし、そんな前作の狙いを解さない人から「CG使い回し」と批判されることもあった。そこで今作ではCGの使い回しは極力抑えつつ、それでも低価格ソフトとして用意できるCG枚数と物語のボリュームのバランスからどうしても生じてしまうCG使い回しを、例えば「これは撮影だから」「あのときの衣装を用意したから」という口実を用意することで違和感を減らす努力が見られた。
恐らく、今作に対して「CG使い回し」と批判をする人は少ないだろう。

主題歌の使い方

エロゲー界隈のコミュニティ内でたまに、主題歌やオープニングムービーの必要性について議論されることがある。
今回はそれの是非についてどうこう論じるつもりは毛頭ないが、少なくとも『円交少女』シリーズでは二作とも作品内ギミックとして主題歌を活用している。このことは両作プレイ済みに方は納得してくれるだろう。

……しかし、これについて語り始めるとどうしても両作とも物語の確信や伏せられたギミックに触れざるを得なくなるのでネタバレ有りの日記記事で記したいと思う。

おわりに

今作をプレイする前に前作についての再考記事を書きたかった。しかし、それをまとめるだけの時間がなかった。

そして、今作は今作で語りたいことが有りすぎる。そして、その語りたいことはかなりの部分が前作を踏まえてのことだった。だから今作に絞って語りを始める前に、この記事を用意する必要があった。
そんなわけで、ネタバレ有り記事をお待ちいただきたい。レビューの後に投稿する予定だ。

Share & Bookmark

脚注   [ + ]

01. 恐らく『聖娼女』以降の作品がすべて低価格帯の小品であることも無関係ではないだろう。
フルプライスの長編で全編バルーンウィンドウモードで演出を付けることは相当コストが掛かりそうだ。
今は亡きLittlewitchが名高いFFDシステムを全編に用いた作品が比較的ボリュームの小さな初期二作のみであることを連想してしまう。
02. もちろんそういう需要もありそうだが

あわせて読みたい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。