境界線を探る旅は深き迷宮への入り口
ツイッターでバズってた話題が興味深かったので。
これ…なんでメトロはOK出したの…誰も気持ち悪いと思わないの…困った顔なんだろうけどこんなよがってるような顔にしなくても全然できたでしょうに これをOK出しちゃう感覚歪み過ぎだよイラストレーターもちょっと考えろエロ雑誌じゃないんだからメトロのキャラだろ? pic.twitter.com/1pjnfkKhLN
— 転職を試みるかえる (@orz404) 2016年10月13日
二次元、特に美少女表現における「性的」の境界線をどう判断するかという問題です。
アニメの聖地巡礼がブームとなり、自治体自ら二次元を活用した地域活性化策を広く展開するようになった昨今、その二次元画像の「適切さ」を巡って炎上する案件が多発しています。
特に、二次元の美少女キャラクターを過剰に性的に描かれているために、公共のものとして相応しくないというケースが目立ちます。
大きな話題となった碧志摩メグや『のうりん』ポスター、直近では「くまてつ」などがその一例として挙げられるでしょう。
その流れの中、ちょうど今日バズってた駅乃みちかと鉄道むすめのコラボイラストに対して「不適切」と感じた@orz404さんが、どこが不適切かを指摘した上で「公共交通機関の公式キャラ絵としてのOKライン」をイラストで提示したのが次のツイートになります。
「どこがエロいのか分からない」と言われたので、私が「性的な意味合いを持つ記号」だと判断した箇所をひとつずつ説明、削除したうえで「公共交通機関の公式キャラ絵としてのOKライン」をさぐりました。 pic.twitter.com/ZMWMKPX1EB
— 転職を試みるかえる (@orz404) 2016年10月17日
更に、@orz404さんは元のイラストを性的だと認識できる/できないグループを更に「非オタク・一般」「麻痺していないオタク」「麻痺したオタク」に分類して、なぜこのような仕事に仕上がったのかという考察と各グループの予測される反応を記しています。
私「よがってるみたい。交通機関の公式絵として不適切」
オタA「よがって見えるのはお前だけ」
オタB「自分もエロいと思うけど非オタは読み取れないから大丈夫」
非オタC「オタクじゃないけど性的に見える」 pic.twitter.com/15IAFWxPa6— 転職を試みるかえる (@orz404) 2016年10月17日
この手の「性的」の境界線をどう判断するかという問題は、表現の自由やフェミニズム、公共性といった多くの面倒くさい要素が複雑に絡み合っているため、@orz404さんの提示した分類でも正直足りていないという印象です。
しかし、そんな面倒くさい問題を正面から引き受ける度量も時間もありません。
そこで、ここでは「公」と「私」、「公私」という視点から個人的に思ったことを。
二次元美少女キャラクターは、それが私的なものであるならどんなビジュアルでも問題がない。そこに異論はないでしょう。
だから駅乃みちかちゃんをボクの私的なスケッチブック上で全裸にひん剥いた上に鼻フックに乳首ピアス、アヘ顔ダブルピース、ええい、さらにがに股で失禁させてやれ! あと脇毛はボーボーな! なーんてやらかしても問題はないはずです。
しかし、それが公のものとなると問題があるらしい。公なるものから離れたいボクでも、そりゃあ児童に対して武田弘光的世界観を「これが表現だ!」とルドヴィコ療法よろしく見せつけることがあまりよろしいことではないだろうなあと予想します。(そもそもルドヴィコ療法は人権的にNG
それにしても、公のものの表現が多くのバッシングに晒されて、だんだんとマイルドになってしまった一例としてテレビ番組の自主規制を思い浮かべますね。ボクが性に目覚める以前はまだまだおっぱいが公共の電波に乗って放送されていたそうな。
閑話休題。脱線しすぎだ。
確かに、「性的な表現」に対して不快感を覚える方を保護する必要がある。児童に与える影響も考慮しなければならない。
それでは、多数の私によって構成された公の、いったい何パーセントを「性的な表現」がふりまくらしい害悪から守ればいいのだろう。
100パーセント? それは可能なのだろうか。
すなわち、誰にとっても害のない表現。
たったの一人に対しても害を与えないよう、多数の私の感性に合わせて無限に表現をマイルド化していく。媚びた表情、強調した体のライン、刺激的な陰影を和らげる方向へと再表現する、再表現する、再表現する……。
そこに果てはあるのか? 永遠に終わることのない仕事になりやしないか? きっとどこかで線引が必要だろう。今日もどこかで無限に性的表現をマイルドにする仕事に就いてしまった不幸な絵描きが過労死しないためにも。
そもそも、「性的な表現はよろしくないからなくしましょう」という表現に対して不快感を示すオタクもたくさんいて、だからこの手の炎上は一方的な叩きに終わらずカウンターが生じて余計に高く燃え上がる。
公の中の私達が徒党を組んで多数体多数の殴り合いを繰り広げる。手と手を取り合って公の利益を最大化できればそれは幸福なんだろうけれど、こと私的な感性により許容が揺らぐ表現の世界においてはそれもままならない。
だから公に相応しくない「性的な表現」を諌めようとしている人が、「麻痺したオタク」という風に(私から見れば)100パーセントの人に害がないとはとても思えないような表現を使ってしまう。境界線を踏み越えるなと注意喚起する人が、当然のように別の境界線を跨いでしまう。これはどうにも、苦笑せざるを得ない現象だ。
……きっと、この表現も。
無限の循環に囚われ、折り合いもつかず。
公って、むつかしい。