『2004年ノベルゲーム批評本』に寄稿しました / 『らくえん』評補足 / 各批評へ一言感想
そういえば告知をば。
C87にて『2004年ノベルゲーム批評本』を発行致します。04年はFate、CLANNADだけかと思えば大違い。もう10年も前かと思わせるあんな作品こんな作品取り揃えました。多くの方に手に取って頂ければ幸いです。 pic.twitter.com/Kr8KSWhFmb
— Mirin (@hon_mirin) 2014, 12月 18
mirinさん(@hon_mirin)が出された『2004年ノベルゲーム批評本』にて、私も作品評を寄稿させていただきました。担当作品は『らくえん ~あいかわらずなぼく。の場合~』(以下『らくえん』)です。
冬コミにて発行された同人誌なので今から入手するのは難しいかもしれません。では、どうしてこのタイミングで本書に言及するのかというと、本書寄稿用の『らくえん』評を書いた熱が未だ続いているからです。ほてり状態。これがエロゲーならば萌える立ち絵が表示されかねません。
そんな訳で、私の萌えキャラ化を阻止するためにほてりを冷まそうと、排熱処理という名の補足を書こうかなと思い至りました。
基本的には『2004年ノベルゲーム批評本』における私の評論を読んでいただいた方の向けのボーナストラック的な位置づけですが、一応、私が本書にてどのように『らくえん』を評したかの概要も軽くですが記しておこうと思います。
1.『らくえん』評概要
2.書き漏らしあれこれ
2-1.キャラクター
2-2.雰囲気と音楽
2-3.『ぼくのたいせつなもの』
3.各批評へ一言感想
1.『らくえん』評概要
『らくえん ~あいかわらずなぼく。の場合~』は、エロゲー制作現場を舞台としたエロゲーです。主人公たちが『あいかわらずなぼく』(以下『あいぼく』)というエロゲーを完成させるまでの日々を描いています。
評論のテーマは「メタフィクションとしての『らくえん』について」。 『らくえん』という作品の持つふたつのメタフィクション性に“のみ”、論点を絞った評論です。
しかし、「メタフィクション」というワードの定義は各個人の感性に依るところが大きい。なので、評論中では「メタフィクション」というワードの意味するところ、およびその面白さについて、以下のように定めました。
メタフィクションの面白さは、虚と実の狭間に叩きこまれてクラクラする感覚の中で、いま対面している作品の本質を否が応でも考えさせられてしまうというところにある。
――『2004年ノベルゲーム批評本』P.22
ここから出発して、『らくえん』という作品世界の構造を三つの階層(レイヤー)に分け、それぞれの階層同士がそれぞれ「虚」と「実」の関係にあることを見ていきます。こうすることで、『らくえん』という作品の持つメタフィクション性をはっきりと示し、かつ、そのメタフィクション性が作品の面白さに貢献しているということを示そうという流れです。
『らくえん』の三つの階層は、
・《現実》――現実世界
・《『らくえん』の物語》――作中世界
・《『あいぼく』の物語》――作中作世界
から成ります。
評論では全編にわたって、第一に、《現実》を「実」、《『らくえん』の物語》を「虚」として、プレイヤーがその狭間に叩きこまれてしまうというメタフィクション性を示しています。そして第二に、《『らくえん』の物語》と、《『あいぼく』の物語》との関係が、実は互いに「実」にも「虚」にもなり得る複雑なものであるというメタフィクション性を示しています。
既プレイ者ならば第一のメタフィクション性に関しては容易に察しがつくと思います。しかし、第二のメタフィクション性は作品全体を見渡した上で、主人公である「にー兄ちゃん」と、その兄弟であるという「いち兄ちゃん」との関係を追わなければなかなか見えてこない構図です。これについて言及すると長くなるので省きますが、気になる方は紗絵ルート(寝取られ回避エンド)を再プレイすることで、言わんとしていることが理解いただけるかと思います。
……とまあ、以上のように、ひたすら『らくえん』の持つメタ構造ただ一点に絞って批評を書かせていただきました。
このメタ構造に着目することで、『らくえん』という作品の本質、特にそのタイトルの意味について、評論中ではいくらか説得力があり、なおかつ面白いことを書けたのではないかと思います。
とはいえ、いくらなんでもメタ構造に特化しすぎたなと。その結果、『らくえん』と『あいぼく』とを行き来する形にならざるを得ず、その煩雑さを和らげるために評論中で挙げる登場人物名を「にー兄ちゃん」と「いち兄ちゃん」に絞り、魅力的なキャラクターについて一切触れることができなくなってしまいました。
そもそも、この方向へと舵を切るきっかけとなったのは、本企画に通底する「10周年」というテーマにあります。10年という月日を経ても、『らくえん』は未だに一線級に楽しめる作品であるということを改めて示したかった。そのために、発売から現在までの10年間、ウェブ上で積もり積もった感想やレビューでは発見できない「新しい語り」を提示したかったのです。この試み自体は、mirinさんから初稿の感想をいただき、少なからず成功したんだなと満足しております。
しかし、この作品を傑作たらしめる要因はもちろんメタ構造以外のところにも数多くあります。
なので、以下では批評中で語ることのできなかった各要素を、補足という形で叫んでいこうと思います。
2.書き漏らしあれこれ
2-1.キャラクター
『らくえん』について語ろうとするとき、普通ならばまずはキャラクターに言及せざるをえないでしょう。それくらい、本作はあまりに各キャラクターが立ちまくっています。
コメディ色が強く、一見リアリティとは無縁に思えるデザインでありながら、彼ら彼女らから匂い立つこの現実感は何なのでしょう。特に、各キャラクターが抱える「弱さ」は、誰もが持つ「弱さ」をうまいこと各キャラクターへと分配しているように思います。
そもそもエロゲーというある種最強の現実逃避コンテンツに携わるだけあって、現実逃避に走る才能なきキャラクターたちの姿がまるで私そのもののようで愛おしい。
大学受験にエロゲー制作に主人公への恋心と、自分のキャパシティを超えて制御が効かなくなってしまったがために、他の男へと逃避してしまう紗絵というヒロインは今となっては希少な存在でしょう。また、杏ルートにおける主人公の姿は私自身の痛々しさを見せられているようで辛く、同時に、そんな痛々しさすらも受け入れて、一緒に堕落してくれる杏の存在に救われます。余談ですが、杏ルートが他のヒロインルートに入れなかった際の受け皿のような位置づけであることによって、どんなプレイをしようが必ず「楽園」へと至れる作りになっているのが巧いなあと思います。
逆に、才能がある側のキャラクターたちはそれぞれ異なる描かれ方をしています。完璧超人過ぎるがあまり、翻ってそこが弱さとして現れる可憐。そして、その性格から一切の弱さを感じさせないキャラクターでありながら、そのルートの最後で「煙草」というエロゲヒロインに似つかわしくないアイテムでもって一片の弱さを感じさせるみか。
そんな中、唯一の絶対的強者として描かれるのは、どんな仕打ちを受けようとも走り続けることのできる亜季です。
亜季「声ほめられてもしょうがないよ。
……生まれつきだもん」
亜季「努力を評価されないみたい」
この台詞には思わずドキリとさせられます。普段から無意識にこの仕打ちを声優へとぶつけている自分が浮かび上がることはもちろん、同時に、この発言自体が才能があり努力のできる(=私では逆立ちしても敵わない)人間だからこその発言だなあと。
そんなキャラクターたちを演じるキャストも「完璧」以外に言葉がありません。
特に、杏&亜季の双子妹ズの噛み合わせの良さと言ったら! 普通よりちょっと早口(これがまた独特なワールドを作ってる)なこの妹たちの掛け合いはどれも必聴です。
また、エロゲー声優の卵である亜季役である金田まひるの「良い喘ぎ演技」と「良くない喘ぎ演技」とを演じ分けるという神業は、エロゲー好きならば一度はチェックすべきです。その後のエロシーンの見方が変わる本作屈指の名アクト。これがあるからこそ、『らくえん』プレイ済みか否かでその人のエロシーン評の説得力が変わるとまで考えています。
2-2.雰囲気と音楽
『らくえん』作中全体に漂う雰囲気を一言で表すならば――怪しげ。
そもそもが怪しげなエロゲー会社を舞台にしているだけあって、雰囲気作りからしてその空気を作り出しています。その空気は、「一昔前のオタク感」とも表現できるかもしれません。
その空気作りに貢献しているのが音楽。例外なくギターが鳴り響くBGMが醸し出す怪しさは、どうしてこうもワクワクさせてくれるのか。特に、タイトル画面で使われる『the case of us plugout/僕らの場合』の脱力感とでも言いますか、どこかおっさん臭い感じがたまりません。
他のお気に入りも挙げていきましょう。
初回起動時のフェイク・プロローグにて一発目から流れる『under the another moonlight(Aus Streichquartett in d D810 “Der Tod und das Madchen” Andante con moto)/今宵、月の下で』の壮大過ぎてバカな感じが、プレイヤーに「あ、これもう普通のゲームじゃないな」と思わせることに成功しています。これについてはさすがに寄稿した評論中でもネタに使わせていただきました。
続いては『star boy, ether girl/スターボーイ・エーテルガール』。 本作サントラにて、金田まひる&草柳順子が素敵に歌うオンヴォーカル版がボーナストラックとして収録され、更に、幻となってしまった完全版のPVでもまた新たなオンヴォーカル版が使われるという、ある意味本作を象徴するアッパーテンションなロックサウンドの一曲ですが、以外に作中で使われているシーンが少ないことに気づきます。ただ、単純に曲としてのキャッチーさでは作中で一番でしょう。耳に残る一曲です。
最後に、エンディング曲である『the case of us/僕らの場合』です。ここまで見てきたように、本作のBGMはこれっぽっちもエロゲーっぽくありません。この曲も例外ではなく、なんと英詩に男性ボーカル! スタッフロールの作りも完全に洋画のそれで、エンディングだけを見てこれがエロゲーと気づくことは困難かと思われるレベルです。この作品全体に貫かれた「エロゲーっぽくなさ」は、本作がエロゲーを作る人達(=エロゲーの外)の物語だからという意図によるものと私は解釈しています。
2-3.『ぼくのたいせつなもの』
実は、最初の構想の段階では、作中作でありオマケとして収録されている『ぼくのたいせつなもの』(以下『ぼくもの』)を評論のオチに使おうと考えていました。
『ぼくもの』は、『らくえん』の登場人物である田中大三郎というデリカシー皆無で嫌味な男がシナリオライターを務めているという設定になっています。この設定が意味するところはひとつでしょう。「こんな繊細で泣けるエロゲーだけど、シナリオライターは田中大三郎だよ?」と、『らくえん』プレイ済みの私たちへとぶつける皮肉です。
作品と、それを作っている制作者の人間性は関係ない――そんなメッセージを『ぼくもの』から汲み取ると、可憐の次の台詞にまたなんとも言えない意味が付与される気がします。
可憐「声優とか制作者が人間だってコトに
イマイチ気づいていない人いるみたいだし。
気づかれるのも、作ってる側としてはシャクだし」
この台詞は、亜季の卑猥なアイコラ画像がネットにアップされたことに対する可憐の反応です。しかし、作中の文脈とは逆の意味で、ファンが制作者を肯定的に担ぎ上げる際にも同様に言えるのではないでしょうか。自分勝手に制作者像を作り上げ、それを玩具にしてしまっていることに変わりはないのですから。
実は、評論1P目の”アレ”は最初、このオチにかかる形で書かれたものでした。メタフィクション性にテーマを絞った評論のオチとしては採用しても良さげなネタだったのですが、さすがに深読みし過ぎかなあと思いオミットしました。最終稿では、「僕は『あいぼく』の制作者たちのことが分かってるんだぞー!」というニュアンスを弱め、評論全体にとってまた別の意味を付加したつもりですので、それを読み取っていただければ幸いです。
3.各批評へ一言感想
1.『Fate/stay night』(OYOYOさん)
プレイ済みです。作品のサイズや資料の数的に、2004年作品の中で、語るのが最も難しい作品のひとつだなあと思います。この評では三つのルートのうち、”Fate”編の終盤の解釈に絞っており、士郎とセイバーの「恋」について濃密な考察になるほどなあと唸らされました。私は”Unlimited Blade Works”が一番好きなのですが、印象深さという意味では”Fate”編のエンディングが一番かもしれません。長大な物語の締めくくりとしては、これしかないでしょう、と。
3.『Quartett!』(mirinさん)
プレイ済みです。主人公のフィルの台詞を引用して、本企画のテーマへと繋げる憎い演出。10年という時を経て、この作品をとりまく環境が変わり、失われてしまったものもあるけれど、プレイヤーの記憶にはずっと残り続ける名作だと思います。
4.『ToHeart2』(水瀬もるとさん)
XRATED版をプレイ済みです。かなり初期にプレイした作品で、本作がこの企画に名前を連ねることで10年という月日の重さを感じさせられました。非常にボリュームの大きな作品の中で、いいんちょこと、小牧 愛佳に絞った批評で、「ああ、そういえばそんなストーリーだったなあ」と懐かしくなりました。余談ですが。ラファエルさんの話をもっと訊きたいですw
5.『お願いお星さま』(アミーゴさん)
未プレイです。『君と彼女と彼女の恋。』への熱いディスから始まる殴りあい必至な評論なのですが、よく考えたらアミーゴさんからはツイッター上でジャイアンよろしくボコられてる気がするのでここでは敵前逃亡を選択。現代日本的な倫理観の上に立つ「一夫一妻」の形式から逸脱した想像力が、美少女ゲームの媒体の中でもっと模索されても良いという意見には全面的に同意いたします。いや、決して私も3P大好きだからとかでは無く。また、この評を読んで、アニメ『フタコイ オルタナティブ』を連想しました。
6.『ショコラ~maid cafe curio “Re-order”~』(とをるさん)
未プレイです。シナリオライターに愛されたあのヒロインよりも、俺はコイツが好きなんだ! という想い爆発な評論。男女の友情から恋愛へと移ろうという関係性は好みなので、翠というヒロインは俺にも刺さりそうだなあと思ったりしました。
7.『LOST COLORS』(G-hunterさん)
未プレイです。以前から話は聴いておりいつかやろうと思っている作品です。ある媒体で何かを物語るならば、物語はその媒体にフィットした形にしたいという、制作者たちのチャレンジ精神が伝わる評論でした。早くプレイせねば。
8.『SHUFFLE!』(サクヤさん)
未プレイです。いかにキャラクターが印象良く描かれているかに重点を絞り、その後の『SHUFFLE!』コンテンツの展開も再確認できました。後世に残ってしまうテキストは、特に現代ではどれもこれも電子化されてしまうので尚更、よく考えて書かねばならないという教訓に身を引き締めました。
9.『です☆めた ~半熟ヴァンパイア死亡YOU戯~』(えびさん)
未プレイです。曰くあえての変わり種。2004年の作品と訊かれて、真っ先にピンとくる作品ではないけれど、それでも確かにその時代に生まれていた作品。これもまた、本企画の趣旨に綺麗に乗った評論だと思います。作品内容の紹介を読んでも、いまいち頭に入ってこない感じが素敵。
10.『ニセ教祖』(まるまるさん)
未プレイです。新興宗教団体を舞台にしたエロゲーだけあって、「教祖さまなら信者と自由にエッチできるんじゃろ~?」というエロ妄想と同時に、それを実現するためにしっかりと描かれた宗教論が裏側にあるのだろうなと思わせてくれました。今回の企画の中で一番プレイしてみたくなった評論です。
11.『凌姫~淫らに響く復讐の輪舞曲~』(OYOYOさん)
未プレイです。冒頭の「そして2つがあわさると、エロゲーになる。」という一文がたまらんです。凌辱ゲーというフィールドにおいて、10年前から現在に至るまで変わることのない「面白さ」、あるいは「エロさ」の根源とは何かということを、『凌姫』という作品から指し示した名評論だと思います。
12.『Remember11 -the age of infinity-』(feeさん)
未プレイです。ちょうど最近『Ever17』をクリアしたばかりだったのでタイムリーな評論でした。過去のInfinityシリーズとの違いや、本作の持つ良い点と悪い点とを並べて解説するその丁寧さに憧れます。打越作品は必ずや生きているうちに前作プレイしたいと思っているので、今回伏せられたポイントについては自ら解き明かしたく思います。
13.『CARNIVAL』(四位高志さん)
プレイ済みです。実は、最初この企画が持ちだされたとき、私も希望作品のひとつとして『CARNIVAL』を挙げていました。しかし、非常に作家性の強いライターの作品だけに、全作プレイしていない自分が書くにはハードルが高いなあと思っていました。結果としては、四位高志さんという本作を語るに相応しい方が担当されてホッとしています。本作の読後感のなんとも言えない感じを見事に書き表した評論です。
14.『CLANNAD』(水瀬もるとさん)
プレイ済みです。『Fate』と並んでその作品規模大きさから荷が重い本作。智代と太ももに焦点を当て、げへげへするのもある意味で本作の楽しみ方か。しかし、「CLANNADの話を出すと古参と言われる時代」という一文の重さには思わず参るものがありますなあ……。
15.『家族計画 ~そしてまた家族計画を~』(mirinさん)
未プレイです。ファンディスクでありながら、本編の主要人物がほとんど登場しない本作。そこにはプレイヤーに明かされない時間の流れが見え隠れしており、「そしてまた」、物語は始まる。これは、当時の制作者たちの多くが消えていった10年という時間の流れを経て、「そしてまた」当時の作品を振り返ろうという、本企画の意図とがっちりとリンクした作品チョイスなわけですね。これを最後に持ってきたmirinさんの編集能力にあっぱれです。企画&編集お疲れ様でした!