【ネタバレ注意】『夏の色のノスタルジア』は心霊物語である
ことの始まり
こないだ『夏の色のノスタルジア』のショッキングなシーンの画像を貼って「トラウマ」とか言ってるツイートが600RTぐらいされてて目が死んだんだけど、こともあろうにその人が「夏ノスは事前情報にグロ要素があることを隠しているからダメ」みたいなことをのたまっていて殺したくなった。
— こー感しん経感度りょー好 (@KO_SHIN_RYO) 2016年2月28日
唐突に『夏の色のノスタルジア』について考え始めたのはこのツイートがきっかけだ。ツイートに出てくるバカについてはもうこの際どうでもいい。
本ブログの『夏の色のノスタルジア』レビュー記事でも「心霊」をひとつのキーワードとして挙げている。ただ単にビックリさせるためだけにショッキングなシーンを用意したのではなく、物語の必然としてそういう要素が入ってきたのだろうというのが私の読みだ。
そこをもう少し掘り下げて言及したほうが良い気がしたのでツイッターで連投しようと思ったけれど、本筋とは絡まないものの「エデン/ラビリンス」という仕掛けへの言及はネタバレ要素として強いだろうと判断してブログで手短に書き残すこととした。
「エデン/ラビリンス」とは?
『夏の色のノスタルジア』作中では「エデン/ラビリンス」についての腑に落ちるような説明はされない。当たり前だ。「エデン/ラビリンス」なんてものはこの世に存在しないものなのだから。じゃあ登場人物が囚われたあの空間は一体なんなのか?
プロローグ。三年前の向日葵畑での事件。仲良しグループだった登場人物たちの関係が壊れてしまった決定的な出来事。あのとき、彼らの時間は止まってしまった。
時間が止まる、それは即ち死だ。登場人物である彼らは生きてはいるけれど、しかし三年前の(主人公の言うところの)「黄金時代」に縛られたまま、みんな前に進めずにいる。
だから『夏の色のノスタルジア』は「心霊物語」なのである。主人公とヒロインは生者であると同時に、心だけがあの時間と場所に囚われたままの霊なのだ。
最初の問いに戻ろう。「エデン/ラビリンス」とはこの世ではない。あの世なのだ。だからそこには彼らが言うところの「人形」として死者が現れる。プレイした人は思い返して欲しい。強い個性を見せる「人形」たちはみんな、作中で死んでいることを示唆されている。
諒人と美羽の両親も。真鶴の父親も。文音の義妹である麻由紀も。
あの世だから、そこは死者である彼らの領分だ。無個性なその他の人形とは異なり、登場人物たちのネガティブな感情に呼応するように現れる死者たちは、物語上で乗り越えるべき壁なのである。
壁を乗り越えた先、つまりクライマックスを終えた物語の終盤では、どのルートも「エデン/ラビリンス」からの脱出を果たす。基本的にループものではこのループの脱出の瞬間にクライマックスを置くところだが、本作はクライマックスを先に終えているため脱出の瞬間はどれもあっけない。
しかし、「エデン/ラビリンス」があの世であるということは、そこからの脱出は登場人物たちにとっての蘇りの瞬間である。「エデン/ラビリンス」が同じ一日を繰り返しているというループ設定は、ほとんどこの「蘇り」の印象を強めるためだけに活用されている。繰り返しの日々から抜けだしたら、明日が来る――。
時間が進む。それは即ち生だ。ノスタルジアに囚われた登場人物たちの心は、死を乗り越えた先に生をその手に掴むのである。