スケベお風呂ポスターを貼るという行為について
『てにおはっ!2 リミットオーバー 〜まだまだいっぱい、エッチしよ?〜』を買った。本編を積んでプレイしていないのにも関わらずそのファンディスクを買うというとき、人はエロゲーの主人公が中に出すか、はたまた外に出すかを他者に委ねたくなる気持ちを理解する。
そして僕は早期予約特典のお風呂ポスターのスケベデザインを一目見てよし外に出そう、外に出さねばと決めたのだ。
それにしてもお風呂ポスターなんて久しぶりだ。以前住んでいたアパートでも某ギャルゲーのスケベ度の低いお風呂ポスターを使っていたが、長期間貼り続けた結果ポスターの周囲がカビで黒みを帯びてしまった苦い思い出が蘇る。
ゲームが届いたその日にさっそく貼ってみた。その画像がこちら。
ウェブにお風呂場を公開するなどといった愚行をするのはメントスコーラ動画を上げるYouTuberくらいのものだろう。お見苦しいのを承知で画像を上げたが、一人風呂場で壁面にシャワーを当てながらスケベポスターを貼るという行為の「俺、何やってんだろ……」なやるせなさがはたして伝わるだろうか。
しかし貼ってみて改めて気付かされるのがスケベお風呂ポスターというアイテムの特殊性だ。
なんと言ってもこのアイテムを実際に利用できる立場にある人間というのはなかなかに限られる。とにもかくにも一人暮らしでなければ厳しいだろう。長年エロゲーマーをしているとスケベイラストアイテムが収納に溢れかえらんばかりに集まってしまうものだが、その殆どが自室というプライベート空間で使用するものだ。抱き枕カバーやベッドシーツは言わずもがな、まさかポスター類やタペストリーを自室以外に貼る者は少数派だろう。しかし、お風呂ポスターは一般家庭では一箇所しか設置されない風呂場という共有空間をスケベに染めることになる。よほどの剛の者でなければ家族も使うだろう風呂場に手を加えるのは耐えられまい。
僕はできれば、ずっとスケベお風呂ポスターを貼ることができるという特権的立場を死守したいものだ。果てはきっと孤独死だろう。
そんな訳で、スケベお風呂ポスターを貼れる立場にない者のために、実際に湯船につかってスケベお風呂ポスターと対面することについて記したい。
まずは風呂場に入るとき。初回は思わずビビった。自分でチマチマ貼っておきながらすっかりそのことを忘れてその夜にフルチンで風呂場に入ったところに人の気配を感じたものだから「ヒッ」と声を上げてしまったのだ。風呂場とは人が生活している中で最も無防備になる場所である。映画『サイコ』における映像史上最も有名な惨劇シーンもやはり風呂場で繰り広げられる。まずは風呂に入ってスケベお風呂ポスターが貼られているという光景に慣れるまでに数日を要することだろう。
そして意気揚々と湯船に浸かる。正面1メートルちょっと先には三人の全裸の美少女が精液を浴びたがりそうな表情でこちらを見てくる。なんともスケベである。古代ギリシャの学者アルキメデスは湯船に浸かったときに自分の体積分だけ水面が上昇することを発見して「エウレカ(発見した)!」と叫んだというが、ここではその逸話に倣って「エレクト(勃起した)!」とでも叫ぶべきだろうか。
いや、やはり嘘はつけない。私は勃起してやいないのだ。
そもそも私の視力は裸眼時0.1以下であり、1メートル先となるといくら美少女とはいえ目と口がぼんやりと分かる程度の情報量しか得られない。また、私は足ピンオナニー派なので足を伸ばせぬ湯船の中では勃起もままならない。更に言えばそもそも私はエロゲーをプレイしていても湯船の中で致すシーンというものがなんとも苦手で、自らを包むお湯に精液が混ざるのが嫌なのかあまりときめくことができず、ほとんどそういったシーンを使うことはない。勘違いしてほしくないのはお風呂シーンは好きなのである。湯船で致すことが好きでないのである。そんな訳で、どんなにスケベであっても僕が湯船に浸かりながら勃起することのハードルは高いのだ。
それではそんな状況でスケベお風呂ポスターを前に僕は何をすべきなのだろうか。
とりあえず彼女たちの両方の乳首を押してみた。悲しい気持ちになった。
とりあえず手を水鉄砲に見立てて彼女たちにピュッピュしてみた。虚しい気持ちになった。
とりあえず白乳色の入浴剤を買ってきた。変な想像が働きそうなのでまだ使っていない。
今後、このスケベお風呂ポスターでいったいどう遊べばよいか。暇ができるとそのことばかり考えてしまう。
精液は排水口に詰まりやすいという噂もあるのでやはり射精はすべきではないだろう。スケベお風呂ポスター道はなかなかに険しい。
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