『ニュートンと林檎の樹』レビュー
by こーしんりょー · 公開済み · 最終更新
"万有引力は林檎にも、月にも、ゲームの面白さにも適用される"
点数 | ブランド | プレイ時間 |
45点 | Laplacian | 約15時間 |
シナリオ | ||
緒乃ワサビ | ||
原画 | ||
ベコ太郎、ぺれっと、霜降 | ||
紹介サイト | ||
ニュートンと林檎の樹 Laplacian 2nd Project | ||
備考 | ||
あらすじ
万有引力の法則を発見した人類史上最高の天才のひとり、アイザック・ニュートン。
その名前がもしも、金髪ツインテ貧乳生意気ロリっ子のペンネームだったとしたら――本作はそんな、変則的な偉人女体化モノである。
主人公・朝永 修二は数年ぶりに再開した幼馴染の一二三 四五(うたかね よつこ)と共に、修二の祖父にして天才物理学者の朝永 修一郎 の行方を求めてロンドンはケンブリッジ……ならぬ、テンブリッジ大学へと飛ぶ。
ところが、テンブリッジ大学の敷地内で修一郎が過ごしていたという小屋でふたりは偶然タイムマシンを起動させてしまう。
行き先は330年前――ニュートンが近代科学の扉を押し開いた歴史的大著『プリンキピア』を出版した1678年。
そこで修二と四五は、タイムスリップの影響でニュートンが万有引力の法則を着想するきっかけとなる林檎の樹を燃やしてしまう。
万有引力の法則がなければ『プリンキピア』は完全な形で発行されず、その後の科学の発展が大幅に遅れ、未来が大きく変わってしまう。
本作は、正しい未来の姿を取り戻すためにタイムマシンを修理する傍らで、ニュートンの正体である天才少女アリス・ベッドフォードに万有引力の法則を思いつかせようと奔走する歴史改変SFコメディである。
強力な型と強引な筋
本作は「歴史の分岐点へのタイムスリップ」という強力な物語の"型"を擁している。
本作の場合は「ニュートンと林檎の樹」という誰もが知る歴史上の逸話を話のベースとしており、ニュートンが女の子という大きな嘘(フィクション)から始まりながらも、ニュートン=アリスの人物像や、彼女を中心とした人物配置などは意外と史実に忠実なところもありニヤリとさせられる。
また、この型は登場人物間に時代差(ついでに本作の場合は国籍も)という文化ギャップを自動的に生じさせるため、それだけで序盤のコミカルな掛け合いを展開できる。
そしてタイムスリップ、タイムパラドックスといった定番のSF設定が、本作においてどのようなルールで運用されていくのかという点からある種のミステリー性を帯びさせることができる。
以上のように、この型はプレイヤーに「先が気になる」と思わせるだけの物語の推進力を強める力がある。
しかし、あくまで推進力だけで、物語のオチまでは面倒を見てくれない。
つまり何が言いたいのかと言うとシナリオの尻すぼみ感が著しい。
それは各ヒロインルート単体で見てもそうだし、ゲーム全体についても言える。
個人的に一番好きなルートはラビ・ジエールルートなのだが、このルートは作品全体において中盤に当たり、秀逸なある"仕掛け"が決まって後半のシナリオへと見事に繋ぐ役割を果たしている。
そう、やはり物語を繋いで「先が気になる」と思わせるところまでは上手くできているのだ。しかしその後が続かない。
本作が尻すぼみに感じる理由は複数考えられるが、どれも話運びが悪い意味で強引の一言でまとめられそうだ。
- 主人公とヒロインが男女として惹かれ合う過程が強引。
- クライマックスに至る展開への前振りが強引。
- 何かまだもうひと頑張りできそうなところで終わらせちゃう話のしめ方が強引。
単純に、話をスマートにまとめきる力量が不足していて力技に頼っていると言えばそれまでなのだが、物語の出発点が悪くないだけにどのように物語をまとめるかについては次作以降の課題となるだろう。
ムービー演出の功罪
本作の特徴としてオープニングやエンディングとは別に特殊な挿入ムービーを各ヒロイン毎に用意されていることが挙げられる。
ムービー中の音楽に合わせてヒロインが歌っているように演出してみせるなど、ミュージカル的な盛り上がりを狙っていると思われる。
ヒロイン数=5つ用意されたムービーは、それぞれ効果的だったりそうでなかったりする。
はっきり効果的だったのは最初に見ることとなる四五のムービーだろう。
「もしもニュートンが万有引力の法則を発見できなかったらどうなるか?」という本来ならば長々とした説明シーンになりかねないところをムービーで代替することで面白おかしく展開している。
加えて、止めることができないというムービーの性質を利用して細かい論理の飛躍をプレイヤーに気にさせることなく説明を押し通すことに成功している。
逆に効果的でなかったのはアリスのムービー。
こちらは数少ない貴重なデートイベントが、やはりムービーで代替されることでわずか2分ほどで消化されてしまう。
好意的に見れば、貴重な時間が一瞬で流れ去ってしまうふたりの感覚を表現していると言えなくもないが……それ、いる?
また、これはセンスの問題なので私の個人的な感性の話として受け取って欲しいのだが、九十九 春のムービーは正直キツかった。
これは春役の小倉結衣さんが悪いのでなく、過度に難しいことをやらせた制作と台詞を書いたライターの責任だろう。
無視できないミスの数々
本作はプレイしていて気になるレベルのミスがいくらか見られる。
以下はすべて本レビュー執筆時点で最新の修正バッチであるVer1.1適用時に確認できる問題点である。
最初にTIPS(用語集)の存在。
ゲーム画面のテキストウィンドウの右下からしか遷移できず非常に不便。そもそもこの存在に気づかないままクリアしてしまうプレイヤーがいるのではないかと不安になるレベルの目立たなさである。
TIPSに新たに登録される用語がハイライトされるといった工夫もなく、ネタとしてはそこそこ面白いのに自己主張の弱い哀れな要素である。
続いてCGとTIPSの回収率が100%にならないバグ。
せっかくスタッフクレジットに「おしっこ監修」というナイスな役職があるにも関わらず、この残尿感よ。
そして個人的に最も看過できなかったのがアリスの最初のエッチシーンの導入である。そんなピンポイントなと思うなかれ。
前提として、本作は回想シーンの仕様からかエッチシーンの直前に暗転を挟む。このシーンではその暗転の前後でアリスが修二の部屋に入るというやり取りを異なる台詞で二回繰り返すのだ。
これは本編ライターとエッチシーンライターの間でシーンの擦り合せができてないことを表している。更に言えば、そのヒロインの最初のエッチシーンの導入という重要なシーンで、普通にプレイすれば気づくレベルの不自然な台詞が見逃されているということだ。
私はこのミスから本作のエロ軽視の姿勢を見る。
そもそもエロテキストがかなり薄味だ。各シーンの拍子抜けするほどに短さと合わさって実用性は低い。
シーン数は一人あたり最低4枠と数は揃っているが、本編中のシーンは配置された間隔が短く使いづらい上に、2枠は本編から切り離されたおまけシナリオというのも味気ない。
結果として、私は本作プレイ中に一度も抜いた憶えがない。エロゲーとしてこれを超えるミスはないだろう。
総括
ニュートン女体化とタイムスリップというふたつのアイデアから生じる物語の牽引力の強さから、序盤から中盤まではかなり楽しい。
しかし、後半に進むにつれて尻すぼみするシナリオと薄いエロとが露呈してきて、まるで急速に味が薄まるガムのような作品であった。
最後に、「批評空間やTwit○erで書くのは、ナシ」と製作者自ら予防線を張っていたクリア後のおまけについて敢えて少しだけ触れると、ハッピーエンドをやりたいならば「悪ノリ」などと言い訳を挟まず、それこそご都合主義上等で本編中で貫き通してもよかったのではないかと思う。
今にして思えば、私が本作に惹かれて購入に至るきっかけとなった「ぜんぶ童貞のせいだ。」というインパクトのあるキャッチコピーからしてすでに、この言い訳体質の片鱗を覗かせていたのかもしれない。