【ネタバレ有り】胡頽子ルート号泣 – 『みにくいモジカの子』をプレイ その2

はじめに

『みにくいモジカの子』のプレイ中。
進捗は四月一日 胡頽子九鬼 綺羅々花 椿の3人のエンドを迎えたところまで。攻略順も提示したとおり。

この記事では上の3つのルートについて、プレイ中のツイートやそれに関連して思ったことをまとめたい。
各ルートの結末のネタバレはもちろん、下倉バイオ作品の過去作や、参考にしたと思われる作品についても言及すること、そしてまだまだ本作の全体像が掴めていない状態でのまとめであるため誤りや妄想が多分に含まれている可能性があることをご容赦いただきたい。

一応、現時点で個人的に一番面白いと思っているルートは四月一日 胡頽子ルートである。
というか、胡頽子ルートへの言及がこの記事の9割です。すまんな。

みにくいモジカの子 通常版
ニトロプラス (2018-09-28)

四月一日 胡頽子ルート

本作の体験版をプレイしたときに既になんとなく感じていた、そして下倉バイオシナリオである以上どうしても意識してしまう「メタエロゲー性」については、真っ先にプレイした胡頽子ルートが現状最も濃厚に展開されていると思っている。

大きな結論から先に言えば、あらゆるエロゲーにおける「主人公」と「ヒロイン」の在り方について、極端ながらもひとつの真実を突きつけてくるルートであると私は読んだ。
もちろん極端は極端なので、ここで突きつける真実にピンとこなかったり、怒りを覚えるプレイヤーもいるかもしれない。しかし、このルートで描かれる「主人公」の在り方については個人的に感極まるものがあった。

ヒロインの在り方

このルートのヒロインである四月一日 胡頽子は、ネットアイドル風流としての裏の顔を持つ。
その秘密をモジカで掴んだ捨がそれを脅迫材料として胡頽子と取引をする。
この取引の過程で、胡頽子が他人から痴態を見られたい露出狂として、真の姿を開花させていくというのがこのルートのメインプロットとなっていく。

胡頽子はネットアイドルとして、ビデオチャットを通じて顔も知らない不特定多数の誰かに痴態を晒す。
この「不特定多数の誰かに痴態を晒す」という在り方が、エロゲーにおけるヒロインの在り方そのものではないかとこのルートは喝破している。
ここでいう「誰か」とは言うまでもなく我々プレイヤーのことだ。

このルートのクライマックスは胡頽子の乱交シーンだ。

スポットライトに照らされ横たわる胡頽子。
たくさんの男とたくさんのペニスに囲まれている。
笑っていた。
満面の笑みだった。
『胡頽子で、いっぱいいっぱい、気持ちよくなってね』
その視線は僕に向けられている。
いや、違うな。
胡頽子が見ているのは僕じゃない。
僕が構えたカメラを、
モニタの向こうの視聴者を見つめているのだ。

『みにくいモジカの子』胡頽子ルート クライマックス

ここでの「モニタの向こうの視聴者」というのもやはり我々プレイヤーを意識しての描写だ。
プレイヤーはただクリックで物語を進めることしかできず、「プレイヤーでない存在」に抱かれるヒロインを視続けてオナることしかできない。
そのことに快楽を得る胡頽子=エロゲーヒロインは、今日もまたとあるエロゲーの物語の中で顔も知らない不特定多数の誰かに痴態を晒していく。お相手はその物語の主人公かもしれないし、モブ男かもしれないが、少なくともプレイヤーでないことだけは確かだ†01

つまり、このルートは胡頽子を通して、エロゲーヒロインとは「露出狂の変態」なのだと突きつけてくるのである。

主人公の在り方

このクライマックスシーンでの捨の働き(=私の号泣ポイント)に注目する前に、そもそもゲームという物語媒体とは基本的にどういうものであるかを確認したい。

多くのエロゲー(以下「ゲーム」)において、その物語世界は物語の外部に在るプレイヤーのクリック†02によって物語を綴るテキストを次へと送ることで進行する。
そこでのテキストのルール・スタイルは作品によりけりだ。一人称だったり、三人称だったり、複数の視点を行ったり来たりするゲームもあるだろう。
しかし、どんなルール・スタイルを採用していようとも、テキストが物語世界を形創り、同時に進める役割を持つことは多くのゲームにおける大前提である。

従って、メタな話、ゲームが表示するテキストを生成するような概念は世界を形作るという特権を持つことになる。
一人称であればその一人称の語り手である主人公が、三人称であればいわゆる「神の視点」と呼ばれるように神(=作者)が、物語世界を形作る。それをプレイヤーがクリックすることによって進行させる。

『みにくいモジカの子』の場合は主人公である捨の一人称視点をテキストとして生成し、それをクリックにより進行させるスタイルだ。
しかもそこでは厳密なルールの上で画面に映るものは捨の視ている光景であるという体裁を採っている。そこに、捨の持つ「モジカ」の能力が加わり、他の人物の顔が画面映ると同時にその人物が心に思っていることを画面に浮かび上がらせる仕組みとなっている。

モジカは「文字化」の名の通り、本来一人称であれば生成できないはずの他人の心をテキストとして物語世界に生み出す能力だ。
複数の人物にまたがってその内面を描写できるのは基本的に三人称スタイルを採用した作者(=神)だけである。つまり、捨はモジカを通してこのゲームのルール・スタイルである一人称視点によるテキストとは別に、モジカという回路を用いることで他者の心情という三人称「的」テキストの生成という神のみぞなせる業を振るうことができるのである。

さて、ここまで確認したところで胡頽子ルートのクライマックスを引用する。

オナペットになりたいと願う四月一日胡頽子。
四月一日胡頽子を犯したい観客たち。
モニタの向こうでオナってる男たち。
願いを、
想いを、
欲望を、
僕が叶える。
 
醜く、
穢れた血で、
誰から望まれることもなく、
生きている意味もない、
そんな僕が導いた結末、
僕が描いた欲望の画。
 
そうか、
ここか、
ここでいいのか、
僕の居場所。
 
醜さで彼女を苦しめない。
遠くで、
ひとり、
オナって、
射精する。

『みにくいモジカの子』胡頽子ルート クライマックス

露出狂の変態であるエロゲーヒロイン・胡頽子が抱える不特定多数の誰か=プレイヤーに痴態を視られたいという願望を叶えるために、捨は彼女を視なければならない。
なぜならこのゲームの画面に映るものは捨の視ている光景であるという体裁を採っているからだ。

だから捨は、自らがモジカの過剰使用により壊れることも覚悟の上で、犯される胡頽子と犯す観客たちを視る。
そのことに、自らの存在理由、居場所を見出す。醜い自分が美しいと思った胡頽子を苦しめないよう、狂乱の中一人遠くでオナって射精する姿に私は涙を禁じ得なかった。

このルートが突きつけてくる主人公の在り方。
それは、テキストを生成する特権を持つ主人公が、自らの欲望よりも、エロゲーヒロインの欲望こそを叶えるべくモジカ=文字化=テキストの生成という御業を振るうことなのである。

九鬼 綺羅々ルート

胡頽子ルートに全力を出し切ったので残りのルートはローコストで。別に熱が低いというわけではないが、胡頽子ルートが好きすぎるだけと思ってくだされ。
綺羅々ルートでは終盤、綺羅々が壊れ、捨のことを彼氏である蜂矢(ビーくん)と思い込み、捨も最後には自らを蜂矢と同化させてしまうていう展開を見せる。

ここで個人的に注目したのが綺羅々が蜂矢のことを「ビーくん」と呼ぶことだ。
上ツイートの2つ目にある通り、メタ的にはこの「ビーくん」とは「Bくん」、すなわち「Aくん」「Bくん」「Cくん」……といくらでも代替可能な呼び名の、二番目の名前であることを意図していると読んでいる。

この気付きのきっかけは、最後のシーンで綺羅々が過剰に「ビーくん」と連呼するうちに、私の中で思い出されるある作品があったからだ。
それは映画『勝手にふるえてろ』である。

『勝手にふるえてろ』では主人公のヨシカが中学時代から片思いを続けていた男を「イチ」、今現在好意を寄せられ告白された男を「二」と呼ぶ。これが個人的な連想のヒントとなった。

綺羅々ルートではもともと捨が一番目の主人公(Aくん)であったはずが、綺羅々の心(あるいは真実)に呑み込まれていくうちに二番目の人物(Bくん)へと変容してしまう。
綺羅々にとって『みにくいモジカの子』の主人公が「Bくん」であると言い張られれば、モニタを通じて主人公の視界を視るだけしかできないプレイヤーにはそれは捨=「Aくん」であると綺羅々を諭す手段はないのだ。

花 椿ルート

クリア直後のツイートで見事に名前を間違えてしまっているが気にしないように。

さて、このルートではこの作品世界内の理屈でもって「モジカ」という能力について説明がなされる。
その過程での椿とのやり取りで、本作では珍しく(?)「不幸を背負ったヒロインを主人公が救い出す」という普通のエロゲー的な物語が展開される。
もちろんその味付けは『みにくいモジカの子』ならではの歪さなのだが。

それはともかく、このルートのハイライトは何と言っても最後の最後である。
クリア直後のツイートでは伏せたが、ずばり『未来世紀ブラジル』エンドを採用しているのである。

コンセイサマの呪縛から逃れた捨と椿の幸福なセックスから一転、それすらもコンセイサマの呪縛の中で見る夢であったという終わり方だ。
実はそのセックスシーンで「画面=主人公の視界」では絶対にありえないアングルのCGが使われていたり、最後の方は椿の喘ぎ声が二重に聞こえるという布石が張ってあるのだが、最後のCGがふっと別のCGに切り替わった瞬間は、『未来世紀ブラジル』でふっと二人の男がありえない場所から姿を現すシーンと同じくらいのショックを受けた。てか叫んだ。「ざっけんじゃねーぞ!」。

ちなみに、『凍京NECRO<トウキョウ・ネクロ>』で舞台となる凍京中のいたるところにホットパイプが張り巡らされているという未来世界のビジュアルイメージは『未来世紀ブラジル』のオマージュだと思われ、そのことからも椿エンディングについて「ここはブラジルエンドで行きましょう!」という声がニトロプラス社内で上がったことは想像に難くない(妄想)。

(2019年9月8日 追記)
ツイッターで下倉バイオさんに椿ルートのラストシーンは『未来世紀ブラジル』を意識していたかを訊ねてみましたが、「意識したということはない」という回答をいただきました。

おわりに

各ルートの共通項として、スタッフロールで流れる音が捨の死に際に聞いた音のリフレインであるといった全体的な「音演出」とか掘り下げたくはあるけれど、疲れたのでそれはまたいずれ。

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脚注

脚注
01数少ない例外として『君と彼女と彼女の恋。』の美雪を挙げておこう。
02それ以外にもいろいろ手段はあるが簡単のためここではクリックで統一する。
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1件の返信

  1. 匿名 より:

    深読みしすぎの的外れ

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