「エロゲーにエロはいる」と耳元で囁き続ける嫌がらせ
突発的な短めエントリー。
こーしんりょーは激怒した。必ず、かの支離滅裂の論を除かなければならぬと決意した。こーしんりょーにはエロゲーがわからぬ。こーしんりょーは、暇な成人である。マスを掻き、ヒロインと遊んで暮して来た。けれどもエロ薄に対しては、人一倍に敏感であった。
そんな訳で、いつもの「エロゲーにエロはいらない」論争ネタである。
「エロゲーにエロはいらない」論からは、「僕がハマって面白いと思ったけれどエロがあるせいで世間に認められない」というコンプレックスから、無理やり切っても切れない「エロ」という要素をエロゲーから切り離そうとしているように見えてしまってどうも。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) 2013年7月4日
検索してみると現在のツイッターアカウントにおいて最初に「エロゲーにエロはいらない」論争にいっちょ噛みしたのがこの2013年のツイートだ。
定期的にこの手の論争はシリアスに、あるいはおフザケに観測された。
この論争が何度も繰り返されること自体は良いことだと思う。なんども飽きることなく結論の出ない論争が繰り返されるということは、エロゲーユーザーの新陳代謝が成されていることを示しているからだ。
その度に私はときにはシリアスに、ときにはおフザケに噛み付いてきた。
この世に「エロゲにエロはいらない」はいらない。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) 2013年10月18日
「エロゲにエロはいらない」→ゲ(毛)だけあればいい
「エロゲにロゲはいらない」→エ(絵)だけあればいい
「エロゲにエゲはいらない」→ロ(炉)だけあればいい
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) 2014年4月22日
「エロゲーにエロはいらない」と「エロゲ初心者におすすめのエロゲ」という二大テーマに親を殺されたエロゲーマー。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) 2014年7月1日
「エロゲーにエロはいらない」ってそれ童貞のやっかみだよ。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) 2014年10月12日
「エロゲにエロはいらない」を逆から読んだ「イナライハロエニゲロエ」という呪文を唱えることでゼロ年代に囚われたままのエロゲーマーたちを天に送ることができるのだ。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) 2015年11月8日
エロゲにエロはいらないし、この世界に僕はいらない。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) 2018年9月2日
もはや持ちネタである。
しかし今日は具合が違った。主に私のメンタルが。
割とリアルで精神的に疲弊していたこのタイミングで、直接的ではないものの「エロゲーにエロはいらない」と読み取れるような言説がツイッターのタイムラインでバズっていたのを目撃したのである。ここでは直接引用しないが、具体的には「エロゲーにはシコるだけの抜きゲーだけではなく、シナリオが素晴らしいゲームがあるんです。シナリオが良いゲームをプレイしてみてください。エロゲーを馬鹿にできなくなりますよ」といった論旨である。
正直ひと目見てクラっと来たのだが、おフザケにいっちょ噛みできるような精神状態ではなかったので、意味不明な引用RTで皮肉ったりした。読み返してみてもあまりおもしろいツイートではない(この点は反省)のでここに引用はしない。
さて、もともとイライラしていたという前提条件はあるものの、こんなに「エロゲーにエロはいらない」論にイラッときたのは久しぶりだ。そこで、改めてこの論に対して私が(あくまで「私」が!)どうしてイラッとくるのかについて、シリアスに書き残しておきたいと思った。
注意していただきたいのはあくまで「エロゲーにエロはいらない」論に対する感情であり、件のツイートについてはここでは特に論じない。
なぜ、「エロゲーにエロはいらない」と説かれるとイラッとくるのか。
その理由は、私がエロゲーで抜いた思い出そのものを否定されたかのように感じるからだ。
私はプレイした数々のエロゲーのヒロインたちについて、多かれ少なかれ愛着を抱いている。愛着があればいわゆるエロ薄と呼ばれる作品でもその愛で達することはできるもので、大気だったり運命だったりといった「エロがいらない」と直接的に名前が上がりがちな作品でも射精した思い出がある。
ヒロインへの愛着と、愛着が故に生まれた興奮と、興奮からの自慰という体験と、体験から得られた思い出は当然私だけの超個人的なものである。そしてそれはエロゲーのエロシーンと密接に結びついているのだ。
だから「エロゲーにエロはいらない」と説かれると、その思い出を大切にして生きている私そのものが「いらない」と否定されているように感じられてひどく傷つくのである。
自慰の質に差はあるだろう。しかし、「あのヒロインで抜いた」という体験の価値は私にとって等価であり、それはいわゆる抜きゲーやシナリオゲーといった手前勝手な区分によって揺らぐものではない。どんなエロゲーであっても、私が抜いたシーンは私の人生の宝なのだ。
そんな宝を心に持つ人からすれば「エロゲーにエロはいらない」などとのたまうこと自体がバカバカしく、いらだたしく思えるのである。きっと読者にも共感してもらえることと信じている。
……え? エロシーンスキップする派の人なんですか? なら帰ってください。
河出書房新社
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