作品とクリエイターは別だという当たり前のお話

キラ☆キラ』というゲームのヒロインである椎野きらりが好きなんです。
彼女の魅力について語り始めると止められないので、とりあえずつい最近、彼女が描かれた原画を6ケタ円払って買った、ということでどれくらい好きなのかを測ってくださればと思います。

しかし、昨日ツイッターを眺めていたら、この原画を描いた人が、貧困若年女性を支援する団体とそれに関わる出版社にツイッターの裏アカで嫌がらせをしている、という聞きたくもない話が流れてきたわけです。

作品とクリエイターは別だという当たり前のお話とは過去に何度か直面しており、その度に折り合いをつけてきましたが、今回はちょっとかなりダメージを食らったのでセルフケアのためにこうして記事を書いています(だから問題の中心である団体やクリエイターの名前はここでは直接言及しません)。

作品とクリエイターは別、という話について、私がまっさきに思い浮かべるのは『らくえん~あいかわらずなぼく。の場合~』という作品です。
エロゲー制作現場を描いた本作には『ぼくのたいせつなもの』というゲーム内ゲームが収録されています。その内容は非常に繊細なSFで、それ単体でも評判が良い。
しかし、『らくえん~あいかわらずなぼく。の場合~』にはその作品のシナリオライターが出てきます。そいつが本気で付き合いたくないタイプのクソ野郎なのです。
これはまさしく「作品とクリエイターは別」ということを短編ゲームを一本作って表現している遠回しかつ大掛かりなギャグ。好きな作品のクリエイターに聖人君主であることを望むのは滑稽であるということを喝破しており痛快です。

そんな体験をしているため、好きな感動作のクリエイターが実はサイテー野郎、というケースであれば、まあまだ折り合いはつけられるかな、笑えなくもないかな、という程度の耐性はある自信がありました。
しかし、『キラ☆キラ』と「貧困若年女性を支援する団体」が組み合わさるともう私の中ではダメなのです。

先に上げた椎野きらりはまさにそういう団体から手を差し伸べられることで救われる可能性のある貧困若年女性と呼べるキャラクターなのです。
彼女には作中でふたつのルートがあります。大雑把に言えば、貧困の果てに恋愛もののエロゲーとしては絶対に直視したくないような酷い目に遭うか、あるいはまた別の不幸が訪れることで貧困問題からはギリギリ救済されるか。
後者のルートでもきらりと主人公は精神的に深い傷を負います。傷つきあった二人が向き合い、涙を流しながら「世の中って、むつかしいね」と語り合うシーンは、私にとって死ぬまで忘れることのできない一場面なのです。

「貧困若年女性を支援する団体」についてのゴタゴタはご存知のとおりかと思います。
団体に対する指摘の中心である会計の杜撰さについては私もそれなりの問題意識を感じていますが、それほど深入りはしていません。
また、代表者の言動が過度に挑発的であることを否定することはできません。しかし、そのカウンターサイドも私の目から見ればやり過ぎ、正直言って決してお近づきにはなりたくないタイプでした。

そんなふたつの事項が私にとっては最悪の形でつながってしまったのです。
確かに、お前は「貧困若年女性を支援する団体」の味方につくのか? と聞かれると、即座にYesと答えるには情報不足すぎてお答えすることはできません。その程度の警戒心は私の中にもあります。
しかし、「貧困若年女性を支援する」活動は強く、強く必要だと思います。この考えを形成するきっかけを、私は『キラ☆キラ』のきらりルートにおける、きらりが流した涙から受け取ったのです。

だから、その涙を描いたクリエイターが「貧困若年女性を支援する」活動をする団体に対し、卑劣と形容されてもしょうがないような攻撃をしていたということにひどく動揺してしまったのです。

以上、オチはありません。あくまで私が私の心の健康のためのセラピーとして書いた記事なので。
ただ、『キラ☆キラ』は本当に素晴らしいゲームです。未プレイであるならば一度触れてみることをオススメします。
また、すでに『キラ☆キラ』をプレイしたという方、あるいは上記のようなお話を目にした後ではちょっと手を出しづらいよという方には、本作にも負けない眩さを放つ青春の輝きが、貧困と難民という社会問題によって奪われる様を描いた映画『マイスモールランド』をオススメします。

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