どうして「貴方」なのか、ノベルゲームにおける○人称視点の考察 – 『息子の嫁は親父の女 -女医とナースに仕込む胤-』をプレイ
はじめに
『息子の嫁は親父の女 -女医とナースに仕込む胤-』をプレイ完了。レビューを先日投稿した。
ご存知ない方にはブランドも解散済みで公式サイトも消滅している地味なタイトルと思われるかもしれない。
しかし、本作はエロゲー・ノベルゲームの歴史においてあまり類例の見られないユニークな特徴を備えており、私は以前から気になっていたタイトルだ。
このタイミングでようやくプレイしたため、そのユニークな点を解説しつつ、レビューでは詳述を省いた「なぜそのような作りにしたのか」について考えを述べていきたい。
本題の前に解説に関連する話題として、一般論としてノベルゲームにおける地の文の○人称視点について軽く考察を述べる。
ノベルゲームの画面構成と地の文の○人称視点
ここでいうノベルゲームの画面構成とは、背景画像+立ち絵(+テキスト表示)によって構成される画面を想定する。
多くの作品においてはこの画面構成の表示がプレイ時間の大部分を占めることになるからだ。
もちろんそのような画面構成を持たないノベルゲームや読み物主体のアドベンチャーゲームもいろいろと思いつきはするが、例外を挙げていくと切りがないのでその点はご勘弁いただきたい。
あくまでエロゲーという大きくない市場で、それなりのボリュームとビジュアルを伴いながら、他と比べて比較的安いコストで作れる物語媒体としてのノベルゲームに絞って考える。
本記事で話題にしたいのは地の文の○人称視点の選択についてだ。
多くのノベルゲームで採用される「一人称視点」と次いで採用される「三人称視点」について例を見て、なぜ前者が多く採用されているのかを考えよう。
一人称視点では、例えば「私は~した」のように登場人物の視点で地の文が書かれる。
三人称視点では、例えば「(主人公の名前)は~した」のように登場人物以外の存在(作者・神など)の視点で地の文が書かれる。
私が思うに、ノベルゲームにおいて(その他の文芸媒体と比べても)一人称視点が多い割合で採用される理由のひとつは、ノベルゲームの画面構成が制約となっているからだ。
物語の場面を視覚的に描くために、「場所」と「人物」といった要素を必要最低限(つまり低コスト)の画像素材で表すノベルゲームの画面構成は、そのまま主人公の視覚であるとプレイヤーは見立てることができる。
プレイヤーが見ている画面が主人公の視覚であると、意識的にも無意識的にもプレイヤーが認識するならば、地の文の語り手もその視覚の主体となる人物、つまり主人公の一人称視点で書かれている方が自然に受け入れやすい。
ノベルゲームの画面構成が制約となって一人称視点が自然に受け入れやすいという状況にあると考えると、三人称視点を採用するにはその自然に逆らうだけの画面構成の工夫が必要となる。
例えば主人公の立ち絵の用意するかの検討が必要だろう。
一人称視点では基本的に主人公の立ち絵は表示されない(なぜなら人は自分の姿を道具を用いずに客観的に視覚することができないから)。しかし三人称視点では主人公は語り手という特権性を失うため他の登場人物と対等な扱いでなければ違和感が生じてしまう。
主人公以外にも立ち絵の工夫が必要かもいれない。
例えば立ち絵で描かれた登場人物の視線をいわゆるカメラ目線にしたとすると、一人称視点ではその視線は主人公に向けられたものと解釈できるが、三人称視点ではどう解釈してよいかわからず違和感が生じてしまう。
上記のような問題に意識的に取り組み、ノベルゲーム史上でも最高峰の三人称視点の画面作りに取り組んだ例が『魔法使いの夜』だろう。
以上のように、一般的なノベルゲームにおいてはその画面構成の制約により地の文を一人称視点で書くのが自然であり、それ以外の人称視点を採用するならばそれ相応の意図と画面構成の工夫(つまりコストアップ)が必要になってくる、というのが私の考えだ。
二人称視点を採用した『息子の嫁は親父の女』
本題に入ろう。
ここまでエロゲー・ノベルゲームにおける「一人称視点」と「三人称視点」について考えてきたが、『息子の嫁は親父の女 -女医とナースに仕込む胤-』はそのどちらでもなく、「二人称視点」を採用している。
つまり、主人公を指して「あなたは~した」という風に書かれているわけだ。
小説をあまり読まない方でも想像に難くないだろうが、二人称視点で書かれた小説は極めて少ない。
そもそもが主人公を指しながら同時に読者自身に語りかけるように「あなた」と呼ぶ語り口はよほど上手く書かないと違和感が生じてしまう。そもそも書くのが難しいのだ。だから数が少ない。
文章だけで表現される小説という媒体でも難しいのだから、上で考察したような画面構成の制約があるノベルゲームではますます難しいだろうと私は想像する。
素人である私でも想像してしまうそんな困難を引き受けた上で、そして実際に作る上でその困難にぶつかりながら、最初から最後まで二人称視点で貫き通した本作を完成させた以上は、この形式を選んだそれなりの意図があるはずだ。
では、その意図とはなんだったのだろうか?
まずは素人考えで二人称視点で書くことのメリットを考えると、その奇特な語り口でプレイヤーを混乱させ、「あなた」と呼ばれる主人公とプレイヤーとを同一視させることを狙っているのだろうか? と思った。
しかし、本作をプレイしてすぐにそれを意図していないことがわかった。
本作の主人公である最上 盛幸は五十路のキャラクターでおそらくエロゲーユーザーの平均年齢からは大きく外れる。更に彼は大病院の理事長兼院長という地位も名誉も併せ持つ才人だ。現実的に考えると日本で上位数パーセントに属する富裕層で、多くのプレイヤーにとって同一視するには厳しい設定である。
加えて本作は往年の昼ドラ的な世界観や物語展開を志向しており、盛幸はそんな物語の主人公として愛憎の念に狂って共感しづらい極端な決断をする。非常にキャラの立った人物であり、故に自己投影するよりもむしろ第三者として客観的にツッコミを入れながら楽しむタイプのキャラクター造形といえる。
以上より、感情移入や自己投影といった同一視の機能を狙って二人称視点を導入しているわけではないだろうと推察する。
そこで少し考え方を変えてみよう。
この「貴方」と盛幸に呼びかける語り手はいったい何者なのだろうか? と。
ここからは作中で直接的に言及されていないため私の考察(あるいは妄想と呼んでもいい)となるが――あらかじめ結論を述べると、本作のシナリオは作中人物の伊達 名月が書いた、という裏設定があるのではないかと私は読んだ。
盛幸の姪に当たる名月は医療業界一族である伊達家の中で文学の道に進んだ異端児で、実家との衝突の末に姉の雪花が嫁いだ最上家へと居候として転がり込む。
彼女は盛幸に対して愛人である小野 アンナと再婚する気はないのかと尋ねてきたり、盛幸に対して憧れを抱く看護師の白鳥 雨音の恋のキューピットとして暗躍するなど、サブヒロインのルート分岐に発展する前フリのイベントに絡んでくる。つまり盛幸を二股関係へと誘導する悪魔の誘惑者(メフィストフェレス)としての役割が与えられており、ある意味で本作の物語の鍵を握るキャラクターだ。
そして彼女には盛幸との性的絡みはない。しかし、劇中で執筆の参考とするために強姦されているという設定で自慰をしているところを盛幸が目撃する、というシーンがある。
そこで本作のエッチシーン全般の傾向を示すかのように、最初は嫌がっていたが、次第に快楽に飲み込まれて感じてしまう、という演技を披露するのだ。
そのシーンの直後の彼女の独り言が以下である。
伊達名月
「プロットどおりなら、こんな感じになりそうだけど……
ちょっと急展開すぎるんじゃないの、コレ?」独り言を呟いている名月は、普段の彼女そのものだ
伊達名月
「我ながら、頭悪いセリフだなぁ……
考えつく自分に、ビックリするね!」先ほどまで、オナニーに耽っていたとは思えないほど
名月は冷静そのものだった室内に漂う牝の性臭だけが、先ほどの光景が
幻覚ではないことを示してる伊達名月
「まぁ、先方の注文なんだから、仕方ないかぁ……」
盛幸が自らの娘である真幸を強姦して自らのものとしてしまうシーンの後に、そんな急展開にツッコミを入れるかのような上記のセリフが発せられるものだから思わず笑ってしまう。
しかし、よく読むと「先方の注文」として用意されたプロットをもとに濡れ場の場面をテキストに起こす作業をしていることがわかる。これはもしやエロゲーのシナリオライターのお仕事なのでは? と思ったところでピンときた。
本作のシナリオは実は名月が最上家での経験を元にして書いたものである、というメタ構造をお遊び的に入れているのではないか、と。
つまり、本作の語り手の正体は名月。そう考えると「貴方」と二人称で呼びかけるに至った考え(というか感情)が読み解ける。
彼女にとって盛幸叔父さんは身近な存在すぎて、一人称で「私」として書くにはどこか失礼な感じがしてしまうし、三人称で「盛幸」として書くにはどうもよそよそしい感じがしてしまう。
だからそのどちらでもない選択肢として盛幸を二人称で「貴方」と呼びかけるようにし、本作を書いたのではないだろうか。
以上の考察に則れば、本作が二人称視点を採用した理由は先述した通り単なる「お遊び」である。
別に二人称視点でなければいけない絶対的な理由は本作にはない。しかし「本作は名月がシナリオを書いている」というメタ構造説に説得力を与えるひとつの考察材料にはなる。
したがって、作品の著しい品質向上やアピールポイントに寄与するような深い何かは本作の二人称視点にはないというのが私の結論だ。
敢えてその効果をひとつ挙げるならば、私のような好事家にプレイする動機を与え、こんな考察記事を書かせることができることくらいだろうか。
おわりに
なんだかガッカリなオチに思われたかもしれないが、そもそもとして私は本作をかなり高く評価していることは強調しておきたい。
たとえ高尚で深遠な意図があろうとなかろうと、全編二人称視点で書かれたフルプライスエロゲーという時点で私にとってはそれはもう愛おしい「ヘンテコエロゲー」なのだから。
最後に、二人称視点の話題とはあまり関係がないため上論では書かなかったメタ構造説を補強する情報をひとつ追加すると、ゲーム起動時に表示されるALL-TiMEのブランドロゴ画面でブランド名をコールする声優は名月役の唯香さんである。
物語本編の外部にあたるブランド名を読み上げる役割をわざわざ攻略対象でないキャラクターにさせるというこの配役にどこか企みを感じずにはいられない。
まあ、メタ構造説については特に明言されていないため、信じるか信じないかはあなた次第である。
はじめまして。興味深い内容の記事だったのでコメントさせていただきます。
お遊びで二人称視点を使用したという考察は、面白いなぁと感じました。
私が「特殊な人称」で印象に残っているのは【眠れぬ羊と孤独な狼】です。
この作品の主人公は、経歴が謎の殺し屋ということで、名前が表記されずに「俺」と書かれています。「俺」がユーザーである「あんた」に語りかけることで進行する作品です。
多数のキャラクターが登場するザッピング系のエロゲでありつつ、主人公に近い視点で物語を体験する……という感覚でした。
そのほか、フリーゲームの18禁ADVである【悪魔の迷宮】は、「あなた」表記の二人称視点エロゲだったような記憶があります(曖昧)。
はじめまして。お読みいただきありがとうございます。
『悪魔の迷宮』は昔プレイしたことがありますね。今思うと、あれは「あなた」がこのゲームをプレイしたことで登場人物の少女はひどい目に遭いました、という罪悪感に直接訴える(それにより暗い快感を興じさせる)ことを意図した作りだったんじゃないかなと。かつての封印されし暗い記憶が蘇りました。
『眠れぬ羊と孤独な狼』、題材も好みで面白そうだなあと前々から思っていました。
「あんた」とユーザーに語りかけてくる語り手として、『車輪の国、向日葵の少女』を思い出します。こちらは物語上のあるギミックを狙った語り口でしたが、『眠れる羊と孤独な狼』は一貫したスタイルとして採用している感じがしますね。ますます興味が出てきましたので近々触ってみようかと思います。紹介いただきありがとうございました。