私たちはアナ雪2ステマ騒動後の世界を生きざるをえない

はじめに

ひさびさに精神的に苦しい話題が来た。
『アナと雪の女王2』のステマ疑惑とその騒動だ。

ここ数年は嫌な話題はすぐに忘却して心の平静を得るムーブを優先してきたが、こいつはちょっとしばらく引きずりそうなので、そのケアも兼ねて所感を吐き出しておきたい。

事実確認

すでに大きく炎上したこの問題はさまざまなところで詳細がまとめられている。
ひとまずはTogetterの該当まとめをリンクしておくが、主観を排して簡単に整理すると以下の流れとなる。

  1. 12月3日午後7時に複数の漫画家がツイッターに『アナと雪の女王2』の感想漫画を「#アナ雪2と未知の旅へ」というタグを付けてツイートする。
  2. 12月4日午前から該当漫画家がそれぞれ自らの漫画ツイートにぶら下げる形で、試写会に紹介されて描いたPRツイートである旨の報告と謝罪文をツイートする。
  3. ウォルト・ディズニー・ジャパンが混乱に対してお詫び文を掲載。そこでPRであることを明記するはずがコミュニケーションエラーによりその旨が行き届かなかったことを伝える。

私の個人的な悲しみと怒り

上記の流れから「#アナ雪2と未知の旅へ」というキャンペーン用ハッシュタグはステマに関する議論の場と化してしまったわけだが、私はこの騒動を眺めていて悲しさと、そして怒りを覚えたのであった。

はじめに釘を差しておくと、私はそれほどディズニーが好きでない。

人並み以上には映画館で映画を観ていると自負しているが、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ製作のアニメーション映画やその実写化作品群をほとんど観ていない。
そもそも問題となった『アナと雪の女王2』を観る予定もなければ、『アナと雪の女王』すら観ていない。『美女と野獣』や『アラジン』といった大ヒットした実写化作品もほぼ手つかずだ。
その理由は、私が映画文化に触れ始めたのが大学生になってからで、多くのディズニーファンのように子供の頃からディズニー作品に慣れ親しんだわけではないことが大きな理由であるだろう。

だから、この悲しさや怒りは「好きだったディズニーから裏切られた!」といった感情によるものでないことを明言しておこう。

それではなぜ、この騒動を前にしてこんなにも悲しみ、そして怒りの感情を抱いたのか。
それは、SNS上で自然発生していたと思い込んでいた「これ好き」創作の場に、大きな影を落としたからだ。

こんな場末のブログでグダグダとくだを巻いていることからも分かる通り、私は人生のかなりの時間を「これ好き」(あるいは「これ嫌い」)とネットで発信することに費やしてきた。
だから、他人の発信する「これ好き」――つまり、好きとなった作品を根源のエネルギーとして、文章で、絵で、漫画で、動画で、あるいは他の様々な形で花開く「これ好き」創作が飛び通う空間は、嫌いじゃなかった。

「これ好き」創作者は好きになった作品から受けた創作意欲を満たし、そうして生まれた「これ好き」創作は元の作品とそれを知らぬ新たな客をマッチングする役目を果たす。
決定的に不幸になる人がいないこの口コミ効果は、私の目に入る世界で流通する分にはポジティブに肯定されるべきものだった。

しかし、今回の騒動後の世界では、これまでポジティブに肯定されてきた様々な「これ好き」創作に対して、一枚の無視できない膜が覆いかぶさることになる。
それは猜疑心という膜だ。今回炎上の当事者となった漫画家の方々はもちろんのこと、あなたも含むすべて人の「これ好き」創作に対して、少なくとも私はしばらくのあいだこの忌々しい膜を意識しながら触れることとなる。

もちろん、この猜疑心という膜はもともとすべての「これ好き」創作にあっただろう。
ストレートにこれはステマではないのか、あるいは流行りの話題に乗じただけの愛のない便乗創作ではないのか、等。しかし、これまでそれはほとんど無視できる厚さだった。

それが無視できない厚さになってしまったのは、今回の騒動の原因である作品がはじめから大ヒットが約束された『アナと雪の女王2』という作品だったからだ。
狡い手を使わずとも多くの人による「これ好き」創作が大量に自然発生することが容易に予測でき、だから猜疑心が生じにくかったこの作品から、疑惑が吹き出てしまったというのは悲劇というほかない。

こうして、「これ好き」創作というファンコミュニティの場が超巨大な商業組織の失策により荒らされてしまった。
私の悲しみは、この騒動によって決定的に変わってしまいもう戻れない過去に対して向けられ、そして怒りはその変化をもたらしたすべてに対して向けられている。

たぶん、この怒りの対象が多すぎることが、今回特に強く精神的に苦しいと感じてしまう原因なのだろう。

おわりに

ツイッターでグダグダ言うこともできずにただ一言「やってられん」と表現するしかできなかったことが、もう私にとってツイッターがもたらしてくれる効果が弱まっていることを象徴しているように思えてならない。

また、今回の騒動で得た数少ない知見を元に、この記事は19時に投稿することとした。

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