2020年01月に観た新作映画を振り返る

はじめに

2019年は僕が映画館に足繁く通うようになって以来もっとも新作の鑑賞本数が少ない年となった。原因はいろいろあるのだが、端的に言えば何かに対して「面白い」と思える精神状態になかった時間が長くあったからだ。そのそもそもの理由については後々このブログでまとめるかもしれないが、とにかく昨年は感動というものから遠ざかった一年だった。

その反動として「2020年はこれまでよりもたくさん新作映画を観よう」と考えたのが2019年12月末のこと。それから真っ先にサイテー映画の大逆襲2020!という企画上映で『死霊の盆踊り』のHDリマスター版を劇場で観るなどして映画に対するモチベーションを高め、そして2020年を迎えた。

そこで2020年はたくさん新作映画を観るだけでなく、このブログでもこれまでしてこなかったことをしようと考えた。ツイートという後から読み返すのが難しいSNSメディアだけでなく、私個人のお城であるこのブログで鑑賞した作品をきちんと振り返られるようにログとして残そうと。しかもそれを月刊でやればブログの毎月更新もできると良いこと尽くめである。

それでは2020年1月に私が劇場で鑑賞した新作映画について、それぞれ鑑賞直後のツイートと予告編動画、そして簡単な感想を並べよう。

2020年01月に観た新作映画

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

2020年一発目は今年を占う意味でも絶対にハズレない映画にしよう! ……などと考えたわけではないが、まあ絶対にハズレようがない映画を一発目に観たわけである。

本作は2016年に公開された傑作『この世界の片隅に』に40分以上のシーンを追加した再編集版だ。鑑賞直後のツイートではタイポしてて上映時間がとんでもないことになっているが気にしないように。

ツイートにも書いたが本作の凄みはなんといっても時間を感じさせない編集にあると思う。戦時下日本の何気ない日常を数年に渡るスパンで描く作品だがまったくダレることがない。所々で挿入される年月日を示す字幕が1945年8月6日のあの瞬間へのカウントダウンとなっているというアイデアが作品全体に漂う緊張感を与えているのも大きいだろう。

追加シーンによってすずさんという一人の女性のドラマとして強化された本作は2016年のバージョンよりも泣いてしまったというか、正直泣き死にしかけたのであった。


『パラサイト 半地下の家族』

賞レースを席巻中の韓国映画。おととし『万引き家族』が受賞したカンヌ映画祭パルム・ドールを皮切りに各国で称賛され、ついにアカデミー作品賞にもノミネートされた。

コメディやサスペンス、ホラーといった映画のジャンルを自由自在に変化させながら、丘の上の豪邸に住む家族と半地下に住む家族との経済格差を明るみにする。もともとは北朝鮮の攻撃に備えた防空壕だった半地下という韓国ならではの住居形態が興味深く、韓国だからできる経済格差の映画的視覚化に成功しているのに加えて、「臭い」という映像では表現できないギミックまでも巧みに用いる手腕に舌を巻いた。「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる」というトリクルダウン理論をあざ笑うかのように、高きから低きに流れるのは汚水ばかりだ。

昨年の『バーニング 劇場版』と並べてみると、韓国では富裕層と貧困層とを比較してみせる映画が続いているが、邦画で同じことをするのはなかなか難しいだろうなと感じる今日このごろ。だって日本におけるリアルな富裕層って想像ができないんだもの。近作ではポン・ジュノ監督と対談した細田守監督の『未来のミライ』における、家族を作って自分がデザインした一軒家に住むというライフスタイルが今の日本の富裕層っぽいと思う一方で、その程度を富裕層と呼んでいいのかと勝手に葛藤しちゃうしそれにあの家族像はどうもファンタジーっぽいんだよなあという気持ちもあるしそもそも今の日本でお金持ちって存在するのかとかみんな等しく貧しく緩やかに貧しくなっているよなあとかどうも頭がグチャグチャしてきたのでこの話はここで終わり。

本編と直接関係ないが、本作のパンフレットの出来が本当にガッカリだったことを付け加えよう。「この映画のネタバレはしないでね」と注意する一方で別の有名映画のネタバレをかます「ポン・ジュノ監督からのお願い」のページはSNS映えする秀逸さでツイッターのタイムラインに何度か流れてきたのに笑ったが、ロングインタビューは監督のみ、二本あるレビューはネタバレ有り/無しで足並みが揃っておらず、本作の肝である二軒の住宅の美術についてほとんど触れられていない。これほどの注目作でこの体たらく、パンフの編集も担当した配給のビターズ・エンドは猛省していただきたい。


『フォードvsフェラーリ』

アメリカの自動車メーカーであるフォードがスポーツカーレースの中でも過酷なル・マン24時間耐久レースで絶対王者フェラーリに挑戦した実話の映画化。

迫力ある音と映像! 喧嘩して仲直りする男と男の友情ドラマ! ファッキュー・アメリカン・トラディッショナル・カンパニーの上層部!

わかりやすく面白いという点では1月の映画の中でも他人にオススメしやすい一本だ。爛々と目を輝かせながら天才レーサーを演じるクリスチャン・ベールと、いつもどおりな安定感のマット・デイモンのダブル主演も楽しいポイント。

ボクシングにこれっぽちも興味がなくても『ロッキー』が楽しめるように、ペーパードライバーでゴールド免許な僕でもカーレース映画は熱いしアガるしカッコいい。


『メイドインアビス -深き魂の黎明-』

公開日前日に友人から観ようと誘われたので、前日夜からTVアニメ『メイドインアビス』を予習。TVアニメなんてもう数年まともに視ていないような身でもこいつは確かに面白かった。ルンルンで劇場へ赴き、ゲッソリと劇場を出た。

TVアニメ版もそこが美点だったが、特に今回の劇場版は観客の感情への揺さぶりの激しさが世界トップレベルだと思う。そんじょそこらのやわな脚本だとクサくて視ていられないようなセリフやシーンもここまでアップダウンが激しいと有りにできてしまう。児童向け絵本でも通用しそうな温かで丸みのあるキャラクターデザインと、まさに深淵と表現したくなる神秘的な美術が、本作の舞台であるアビス同様に罠として機能し、それに惹かれた者をトンデモないところまで連れて行くのだ。

リコとボンドルド卿、二人の探窟家の闘いの行方が、二人が共通して持つ冒険心によって決するという点も危うい面白さがある。冒険心とはすなわち生物の生存本能に反する狂気だ。我らが主人公である真っ直ぐなリコもその狂気のベクトルを間違えればボンドルド卿と同じ道を歩みかねない。実際にリコがレグをはじめて拾ったその日に彼にしたことは、ボンドルド卿がレグに対して行った仕打ちの縮小版だ。そんな彼女の、そしてアビスのその先を見届ける意味でも原作漫画は買うつもりだし、すでに決定しているアニメの続編にも注目していきたい。


『イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり』

気球による高度8000メートルの到達という実話の映画化である。高空の温度と湿度を研究したことで天気予測を発展させた気象学者ジェームズ・グレーシャーをエディ・レッドメインが演じる。エディの顔が超好みなのよ。

直前に観たこともあって逆『メイドインアビス』と表現したくなるところだが、未踏の領域への冒険というプロットは共通するだろう。加えて、『メイドインアビス』用語である「上昇負荷」の概念は本作にも存在する。気球の高度が上昇するほど大気は薄くなり判断力が鈍くなっていき、加えて気温が急激に下るのだ。ジェームズが気を失ってから同乗者のアメリア・レンがどうやって気球の高度を下げたのかといった一連のシークエンスにハラハラした。

作中の気球の飛行時間と、この映画の上映時間とをシンクロさせる手法は、予告編でも名前が挙げられているが確かに『ゼロ・グラビティ』っぽさがあった。近年流行りの体感型映画のひとつに数えられるだろう。

アマゾン・スタジオズ製作ということで、すでにアマゾン・プライムビデオで視聴が可能だ。余談だが、以下に引用するWikipediaの記述からプライムビデオやNetflixなどの配信サービスと映画興行の問題点が浮き彫りとなっており興味深い。「1週間だけ上映したい」というアマゾン・スタジオの思惑としては、恐らくアカデミー賞の選考対象の条件†01をできるだけ少ない費用でクリアしたかったのだろう。

本作は2019年10月25日から1週間だけIMAXシアターでプレミア上映される予定だったため、IMAXカメラを使用した撮影も行われた。しかし、90日以上の上映することを求めたIMAXと1週間だけ上映したいアマゾン・スタジオズの交渉は不首尾に終わり、IMAXシアターでの上映は取りやめとなり、それに伴って全米公開日も2019年12月6日に延期されることになった。

後に、映画評論家の町山智浩さんが映画ムダ話で本作の脚色について苦言を呈したのを聴いた。アメリア・レンは創作された人物であり、本作では最初期の女性気球乗りとしての葛藤が描かれるが、実際には本作で描かれる1862年より50年前にはソフィー・ブランシャールという先駆者がいたことを述べている。


『ジョジョ・ラビット』

1月からいきなり今年ベスト候補の登場だ。今年は僕の中で多くの作品が本作と比較されることになるだろうとか俗っぽいことを考えると、すこしゲンナリしないこともない。

青少年たちにナチスのイデオロギーを植え付けるために組織されたヒトラーユーゲント。本作はそこに参加する10歳の少年ジョジョの視点を通して描かれる、ナチスドイツ敗戦までの物語だ。ここで特に重要なのは「10歳の少年ジョジョの視線を通して」の部分。まだ幼いジョジョはナチスという「かっこいいファンタジー」に憧れた結果、アドルフ・ヒトラーを空想上の友達イマジナリーフレンドにしており、困った事態を前にするとすぐにその空想上のヒトラーに助言を請うのだ。その姿は可愛くてブラックなユーモアに溢れている。さらに、一番の汚れ役であるヒトラーをユダヤ人であるタイカ・ワイティティ監督自ら道化として演じてみせるのも粋である。

ナチスというファンタジーにある意味で守られていたジョジョが、戦争というものを問答無用に目撃し、周囲の人々の愛に触れることで次第に成長していく。自分で靴紐も結べなかった少年が最後にはどうなるかをぜひ見届けて欲しい。

当時はもちろん、現代も各個人の行動を決定する多種多様な考え方がある。その中には他者に害をなすものもあるだろう。しかし本作は「その考えは間違っている!」と声高に主張するのではなく、あくまでジョジョの体験を通してその無知と過ちに優しく気づかせてくれる。「愛は最強。」というコピーにこれほど相応しい作品はない。


『ラストレター』

デジタルネイティブ世代としては手紙というアナログな情報伝達手段にこれっぽちも心動かされた経験はないが……と、ここまで『フォードvsフェラーリ』と同じパターンだ。手紙だから生じる誤配や時間差といった性質が物語を大きく動かす本作を観て「手紙っていいじゃん」と感じるわけである。出す相手がいないが。

福山雅治、松たか子、神木隆之介、広瀬すずと芸達者な役者の中に投じられた森七菜の輝きよ。例によって『天気の子』でその存在を知ったが、ヒットする以前に撮られた彼女の天然のかわいさがたまらん。

ツイッターで「ラストレター」を検索しようとするとサジェストで「気持ち悪い」が併記されると話題になっていた。高校時代の初恋を25年に渡り引きずった男という人物像に対する世間の嫌悪感が表れているのかもしれないが、私は『秒速5センチメートル』がオールタイム・ベストの一本というパーソナリティなのでまったく気にならなかったのであった。


『リチャード・ジュエル』

1996年のアトランタオリンピックの最中に発生した爆弾テロ事件。爆発前に爆弾を発見し被害を最小限に食い止めた警備員のリチャード・ジュエル氏がその後真犯人と疑われしまい、FBIによる厳しい捜査やマスメディアによる報道被害を受けたという事件を描いたドラマ。

今年は東京オリンピックを控えていることもありまったく他人事ではない出来事だ。しかも現在はSNSが誤った情報拡散をさらに容易にしてしまう。今の日本は推定無罪の原則が国民に浸透しているとは到底言えないような事例が日々目に付き、私もネットリンチの被害者のみならず加害者になってしまわないかと戦々恐々とする思いをより深めた一作である。

クリント・イーストウッド監督の近作は実在する「現代の英雄」を描いたものが続いており『ハドソン川の奇跡』、『15時17分、パリ行き』、そして本作と並べてみるとその英雄像はどんどん「普通の市民」になっていく点が面白い。最近のスーパーヒーロー映画は「誰でもヒーローになれる」といったテーマを嘯いてみせるが、そのテーマに真の説得力を感じさせてくるのが今のイーストウッド映画だ。

また、こちらも『イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり』と一緒に町山智浩さんの映画ムダ話で取り上げられており、本作で悪役として描かれた新聞記者のキャシー・スクラッグス氏についての論争に言及している。Wikipediaにもその詳細が記されているが、実在の人物が受けた報道被害による名誉の毀損を描いたこの映画が、別の実在の人物の名誉を傷つけてしまっているこの構造が「フィクションはどうあるべきか」という大きな問いを浮かび上がらせる。


『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』

鑑賞直後ツイートではシチュエーションの説明に手一杯で何も語れていないが、そもそもミステリーなので感想を語りづらい。やはり必然的に複数の多国語話者が一箇所に集まるというシチュエーションがユニークで面白い、とだけここでは記しておこう。この手のクローズド・サークルものは集うメンツの濃さが良作の第一条件だが、その点は楽々クリアしている。

パンフレットには日本の翻訳家3人による座談会が収録されており、その中で欧州圏の言語から同じく欧州圏の言語への翻訳は日本語と比べると楽にでき、だから欧米の翻訳本では訳者の名前が表紙に書かれないという話があった。「表紙に名前が載らない」「翻訳に対し印税が支払われない」という話は本編中でも話題に挙げられており、観ているときはピンと来なかっただけになるほどと合点がいった。こうしたカルチャーの相違に対する気づきがあることが、外国語映画を観る醍醐味だなあと。


『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』

構想30年、企画頓挫9回、映画史上最も呪われた企画……欧州絶賛、北米酷評、「これを観ずして映画ファンと名乗るなかれ」……などなど。過剰に大きなことを言ってしまいがちな映画宣伝の中でもこれほど大げさなものもなかなかないのだが、実際にそれだけ(制作過程が)壮絶な作品なのである。テリー・ギリアム監督による『ドン・キホーテ』映画化企画については、それが頓挫したこと自体がすでにドキュメンタリー映画『ロスト・イン・ラ・マンチャ』となっており、このタイミングで各種配信サービスで観やすくなっているのでこの大げさ具合に興味を持った方はまずはそちらを御覧いただきたい。

アダム・ドライバー扮するCM監督は一方で広告業界のごちゃごちゃした現実に巻き込まれ、もう一方で自らを騎士ドン・キホーテと思い込んだ老人のめちゃくちゃな空想に巻き込まれ、空想に囚われるのは現実からの逃避であり愚かしいとされるこの世界で、最後には自らが想う本質を掴み取る。上のツイートにも書いたが凄く熱い物語であり、同時に恐ろしい呪いのようでもあるのだ。

上記で『ジョジョ・ラビット』が今年のベスト候補と書いたが、それを書いた後の1月31日に本作を鑑賞したこともあり、実は本作のほうが今後好きになってしまいそうな自分がいることに気づく。この二作は「現実と物語のジレンマ」という似たような題材を扱っていると見ることができ、まさに私はそういう作品が好きなんだと思い知らされる。ちなみに、この後に記す「おわりに」の項目もやはり本作鑑賞前に書いてしまっていたこともあって、これを書きながら色々と困っているのである。やはり呪われた映画なのか。

おわりに

例年、12月から2月にかけてはアカデミー賞狙いの良質なアメリカ映画の公開が多く、1月のラインナップは今年も満足度が高かった。

その中でもやはり『ジョジョ・ラビット』は頭抜けて好ましい映画だった。イデオロギーによる洗脳と、そうして生まれたイマジナリーフレンドという「個人的なフィクション」とどう向き合うかという物語は、2010年代でトップクラスに好きな作品である『ブリグズビー・ベア』と共鳴する。それはもちろん、炎道イフリナというフィクションとどう向き合っていくかという私自身の人生のテーマとも繋がっていくわけで、そりゃあ好きなわけだ。

2月10日にはアカデミー賞の授賞式が控えている。作品賞ノミネートの中で、いまだ日本国内で未公開の作品は『1917 命をかけた伝令』と『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』の2作品しかなく、例年以上に楽しめそうだ。作品賞にもノミネートされた『ジョジョ・ラビット』はしかし監督賞ノミネートを逃しておりやや劣勢であるが、私は一番に応援したい†02

最後に、私の鑑賞記録はWorkFlowyにて5つ星評価でリアルタイムにまとめているので、興味があればウォッチして欲しい。

脚注

脚注
01その条件ひとつに「ロサンゼルス郡内の映画館で連続7日以上の期間の公開」がある。
02ちなみにガチ予想するなら作品賞は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が獲ると予想する。肝心要の監督賞と脚本賞にノミネートされており、しかも映画業界を描いた本作は投票権を持つアカデミー会員からの共感を得やすいからだ。加えてタランティーノ監督は次回作での引退を公言しており「引退作で初めての監督賞受賞」というドラマが頭をちらつくことを考えると今回監督賞には投票しにくく、その分作品賞に票が集まるとも考える。前哨戦ではゴールデングローブ賞の作品賞(ドラマ部門)&監督賞と、米製作者組合賞を制した『1917 命をかけた伝令』が頭一つ抜きん出たが、さてどうなるか。
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