2020年02月に観た新作映画を振り返る
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はじめに
アカデミー賞作品賞は韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が獲った。一昨年の『シェイプ・オブ・ウォーター』はジャンルムービー志向の映画作家たちに夢を与えただろうが、今回の『パラサイト 半地下の家族』は同賞を製作国や言語といった多くの縛りから開放し、それこそ世界中の多くの映画作家に夢を見させてくれたことだろう。
それでは2020年2月に私が劇場で鑑賞した新作映画について、それぞれ鑑賞直後のツイートと予告編動画、そして簡単な感想を並べよう。
2020年02月に観た新作映画
『AI崩壊』
『AI崩壊』観た。大衆向けの大作映画とリアル志向のSFは相性が悪く、分かりやすさを追い求めるほどどうしても描写が幼稚になる。そのジレンマに勝ってるところも負けてるところもあるかなあ。答えはその後の時代が決める、本作が投げかけるある問いに対しては真摯に取り組んでいると思った。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) February 1, 2020
2030年の日本を舞台としたSFサスペンス。第4のインフラとなった医療用AI「のぞみ」が暴走しパニックに陥った日本を描く。
超大作で近未来SFでしかもオリジナル脚本という、今の邦画では珍しくなったこの企画を任されたのは『22年目の告白 -私が殺人犯です-』をヒットさせた入江悠監督。本作も『22年目~』を思い起こさせる各年代の出来事をピックアップしながら劇中の現代へと駆け抜けていくオープニングシークエンスや、同監督の本作と比べると小規模なSF映画『太陽』における過剰な清潔感がかえって不気味に見えるサーバー室の美術など、これまでの監督の仕事がこれほどの規模でも活かされていると感じた。
しかし上のツイートにも書いたが、大衆向けの大作映画とリアル志向のSFはやはり相性が悪く、今回の場合は「医療用AI」や「AI監視システム」といったSF的未来予想図をどれだけ分かりやすく提示するかというチャレンジの中で、どうしてもダサく見える描写がところどころに見られる。観客が映画の状況を分かりやすくするために、AIというブラックボックスが過剰に親切に登場人物(と観客)に情報を提示してくれる……つまりはこの劇中世界のシステムのUIとUXがダサいのだ。その代表例が公式がアップした本編映像における「98%の確率で右に向かいます」だろう。
とは言え2030年・日本のシミュレーションとしてはよく出来ていると思う。変わらない都市部の町並み、その一方で少子高齢化による過疎化で放置され寂れた地方。AI=テクノロジーの発達による雇用喪失の憂き目にあった労働者たち、その一方でAI=テクノロジーに責任を負わせて自らは無責任に振る舞う登場人物たち。そんなシミュレーションを見せられた後に提示される「AIは人間を幸せにできるか」という問いに対する本作の答えは、案外ベストアンサーなんじゃないかと、そこは評価したい。
『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』
『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』観た。クラシカルなルックでネトウヨだのインスタだのといった単語が飛び通うのが妙におかしいこのミステリーは、クラシカルなカタルシスをもたらすしゃれた秀作。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) February 1, 2020
こういう普通によく出来たミステリーほど感想が書きづらいったらない。
いかにも殺人事件が起きそうな館、いかにも殺人事件を起こしそうな家族。そんなクラシカルな舞台の上で必然的に発生した殺人事件の謎が、現代的なテンポよさで、その道中に格差社会や移民といった現代の問題を散りばめさせながら、解き明かしていく。
実は本作がリスペクトを表明しているアガサ・クリスティはまったく読んだことがなく、映像作品も触れたことがないが、それでも「一つの館」「死んだ億万長者」「怪しげな一族」といった昔ながらのミステリーの(恐らく万人が持つ)”イメージ”がそのままスクリーンに映し出される、そんな画作りに関心してしまう。漠然と頭の中にあるイメージを細部に至るまで具現化してみせるのだ。しかも、そんなビギナーな私の想像を、ミステリーの推理展開はもちろん、それ以上にこの映画そのものが余裕で飛び越えてくる。観ていない方には漠然とした感想に思えるかもしれないが、観れば私と同じく「そうくるのか!」という思いを抱くはずだ。
『彼らは生きていた』
『彼らは生きていた』観た。第一次世界大戦における英国側の実際の映像とインタビューで構成されたドキュメンタリー。綺麗に着色された100年前の映像が確かに生きていた人々を現在に蘇らせておりそれだけでちょっと感動的だが、だからこそ突撃戦の地獄がとてつもなく恐ろしかった。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) February 6, 2020
第一次世界大戦の記録映像を現代のデジタル技術で蘇らせたドキュメンタリー映画。劣悪な映像素材をデジタル復元、着色し、映像に合った音声素材を新たに作り、読唇術のプロに写る人々が何を語っているかを鑑定させ、実際に戦場にいた退役軍人たちのインタビュー音声を繋げる。帝国戦争博物館とBBCが保管している映像素材は少なくとも2200時間、録音素材は600時間にも及ぶ量で、その作業の困難さは想像もつかない。
はじめは同じく第一次世界大戦の西部戦線を描いた『1917 命をかけた伝令』の前哨戦のつもりで本作に足を運んだのだが、今となってはこちらのほうが好みな作品だ。「かつてこの地上に現出した地獄をどうやって今の映像技術で再現するか」という題材にまったく異なるアプローチで挑戦したこの二作であるが、『1917 命をかけた伝令』は後で語るとして、個人的には本作のアプローチのほうがずっとその恐ろしさが骨身に応えた。
まだ映画というものが出来てから20年ほどしか経過していない時代に、白黒で音も録れないけれど、それでもいま目の前に起きている戦争という出来事を後世に残そうカメラを回した人々。そうした方々が命がけで残した記録映像だからこそずばり「写り込んでしまった」当時の人々の喜怒哀楽と戦慄は、劇映画を観て「リアルに感じる」といった生理現象を飛び越えてもうそのままリアルそのものなのだ。人類史上最初の国家総力戦で大量の新技術・新兵器が殺人のために投入されたその現場の恐ろしさを直視してしまうと、じゃあその技術が100年経過した今はどんな事態に陥るのかと想像してしまう。
作品の評価や好き嫌いとは関係なく、現時点で2020年で一番「観るべき作品」であると断言したい。
『犬鳴村』
『犬鳴村』観た。怖くはないけど映りたがりな霊ふくめサービス満点だった。話題性のある都市伝説を入り口とした、もう100回くらい見た「ダムに沈んだ村」伝承というか。こうしたかったから、トンネルじゃなくて村なのかとひとり合点。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) February 7, 2020
最近、自分はホラー映画の観客としてはあんまり向いていないような気がする。幼少期には確かにあった「恐怖」という感情が大人になるにつれて確実に鈍っていったのだ。それは慣れによる変化なのだろう。
そんなわけで怖くなかった『犬鳴村』は、出てくるオバケの人数とその見せ方のバリエーションで攻める正統派Jホラー増量版といった感じ。犬鳴トンネル、犬鳴村といった有名ホラースポットを題材としたホラー映画だが、中盤からはJホラー的演出は維持しつつも意外なSF的展開を見せる発想自体は面白くもあるが、お話としては複雑さばかりが増して、Jホラー演出による恐怖演出の連打に全力で集中しきれず結果として焦点がボヤけてしまった印象だ。ラーメンを頼んだらそこそこの味のラーメンが出てきてしかもサービスでそこそこの味の餃子とそこそこの味のチャーハンが付いてきたみたいな映画だった。
『サヨナラまでの30分』
『サヨナラまでの30分』観た。死んだミュージシャンとカセットテープを再生してから30分間だけ入れ替われるという設定は奇怪だが、大切な人の死を乗り越える系の青春ドラマとしては王道も王道。二人の性格を演じ分ける北村匠海のパフォーマンスはお見事。ラストガン泣き。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) February 8, 2020
青春バンドものの良作を摂取すれば15万円も支払ったのに積んでる『MUSICUS!』へのモチベも上がるかもしれないと、普段はあまり進んで観るタイプでない本作を鑑賞した。
もともと良い世評は耳に届いており、確かにこれはよく出来た青春ドラマである。主人公である颯太が偶然手に入れたカセットテープを再生すると、30分間だけ1年前にメジャーデビューを目前にして事故死したバンドボーカルのアキに身体を乗っ取られるというファンタジー設定を軸に、陰気で人付き合いが苦手な颯太の成長と、生前のアキとバンドを組んでいた面々が彼の死を乗り越える姿を描く。
アキ役の新田真剣佑は近年話題作に出ずっぱりで、同じ青春映画としてはやはり『ちはやふる』での新太役のイメージが強かったが、今回は絵に描いたような陽キャというキャラクターで個人的にはそれまでの印象を刷新させられた。そして颯太役の北村匠海は颯太とアキの擬似的な一人二役な上に歌唱までこなす素晴らしいパフォーマンスだった。惜しむらくは、本作で描かれる青春が、僕が憧れを抱くようなものではなかったということだろうか。「こんな青春を送れたら良かったのに」という憧れを稼働させる青春創作としてはnot for me案件ではあったが、それでもクライマックスで大切な人の死と別れを乗り越える登場人物たちの姿には落涙を禁じ得なかった。
ちなみに『MUSICUS!』はまだ積んでいる。
『ハスラーズ』
『ハスラーズ』観た。金融危機に陥るまで暴走を続けたアメリカ資本主義に間接的にライドし、その崩壊により迷走したニューヨークのストリッパーたち。「こう生きるしかなかった」と後から述懐する構成はスコセッシ映画のようだった。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) February 8, 2020
2008年の世界金融危機を引き起こしながら裁かれることのなかったニューヨークの資本家たちへのささやかな鉄槌として、彼らから金を犯罪的に巻き上げていたストリッパーたちから成る犯罪グループの実話を元にしたドラマ。なるほど製作が『マネー・ショート 華麗なる大逆転』の監督アダム・マッケイ、今回も世界金融危機に対する怒りを露わにする。
本作の見所はなんといっても犯罪グループのリーダーにしてカリスマストリッパーのラモーナを演じるジェニファー・ロペスの存在だろう。御年50歳とは思えぬ美貌と体つきで眼福なのはもちろんのこと、序盤で本作主人公のデスティニーにポールダンスの技を教えるシーンの切れのある動きに思わず「おお」と感嘆の声が漏れた。
脚本の構成や演出からはマーティン・スコセッシ監督の『グッドフェローズ』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート』を想起させられる。しかし、女性主人公でスコセッシ風タッチといえば一昨年の『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』という傑作があり、こちらや本家スコセッシ作品やと比べるとそのキレは数段落ちると言わざるを得ない。犯罪に手を染めることで人生に訪れた一時の祭りを前にして、社会通念上の道得に縛られた我々は大金を手にする(そしていずれ没落する)彼らの姿に憧れを抱くことしか出来ないというスコセッシ的犯罪映画のセオリーに則ってはいるが、やはり女性主人公が男性から奪い取るという構図には男性である身としてはノレなかった。
『1917 命をかけた伝令』
『1917 命をかけた伝令』観た。超長尺で切り取られた戦場の「時間」に安らぎはない。その時の手法や技術で幾度となく語れ直されてきた戦争という題材の、とりあえずの2010年代最終版として歴史に残るのは間違い無いだろう。凄かった。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) February 15, 2020
一目瞭然、技術的に凄い作品である。全編野外撮影での疑似ワンカット戦争映画。こんなのまるで観たことな……いや、あるか。それはゲームだ。
戦場を移動する主人公を途切れることなくとらえ続ける映像は、まるでオープンワールドゲームのプレイ動画を視ているかのような感覚だ。そう書くとなんだか大したことない気がしてくるが、しかしそのプレイヤーは『ショーシャンクの空に』や『ノーカントリー』や『007 スカイフォール』や『ブレードランナー 2049』や……代表作を挙げ始めたら切りがない名カメラマンであるロジャー・ディーキンスなわけで、終始気の利いた神業的カメラワークで見る目を楽しませ、そして驚かせてくれる。
途中に立ちはだかる障害の数々もワンカット故に生じるリアルタイム性によりやはり映画的というよりもゲーム的だ。A地点からB地点までの移動の間には程よいペースで障害物やイベントが設置されており、隙間の休憩時間には美しく雄大な景色が周囲に広がり、そして終盤に向けてミッションの難易度と緊迫度が上がっていく。ゲームとして視てもよく出来たレベルデザインである。高品質なオープンワールドゲームをプレイしていると本気で時間を忘れてしまうことがあるが、本作もその没入感に到達している。
私の場合はそれに加えて直前に『彼らは生きていた』で本作の舞台の生の映像を浴びるように観たばかり。複雑に曲がりくねった塹壕、行く手を阻む有刺鉄線、汚水が溜まった砲弾孔……本作の第一幕で写るものはどれもこれも『彼らは生きていた』で観たもので、だから本作の鑑賞体験はまるで『彼らは生きていた』の中に迷い込んだかのようだった。『彼らは生きていた』が「実際の映像」という暴力的とも言える力技で西部戦線を描いたのであれば、『1917 命をかけた伝令』は単なるリアルさではなく没入感こそを第一の武器として西部戦線を描いたのである。
『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』
『屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ』観た。酒を呑み、老娼婦を家に連れ込み、犯して、たまに殺して、解体した、シリアルキラーの何気ない日常の日々。この手の映画にしては個々の出来事が(流血も含めて)さらりと描かれており観やすい。スクリーンに映るモノみんな汚い。ステーキを買って帰ろう。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) February 15, 2020
本作は1970年代にドイツ国内を震撼させた娼婦連続殺人事件を加害者であるフリッツ・ホンカの視点で描いた、暴力的でありながらどこか淡々とした日々が続く猟奇的日常系ともいえるちょっと変わったバランスの映画だ。
交通事故による障害で鼻が曲がり斜視気味なホンカの容姿からして不気味で、そんな彼が老娼婦たち相手に繰り広げる性暴力、殺害、そして解体までをリアルに描写した本作はちょっと人には勧めづらい。しかし、同じく殺害した死体を解体する描写がある邦画『冷たい熱帯魚』のようにシリアルキラーの間近に居る人間に感情移入させて怖がらせるといったタイプの作品ではなく、あくまで孤独なシリアルキラーの日常をある程度の距離をとって覗くといった体裁の作品で、その猟奇性の割にはさらりと観れてしまう……ところが逆に恐ろしい。結局は怖い映画である。
社会の底辺のアル中ばかりが出てくる映画だが、彼らの存在はかつての戦争の余波でもある。ホンカは第一次世界大戦敗戦後の貧困の中に生まれて親の愛も教養も得られなかった。彼に虐げられる老娼婦の中には第二次世界大戦中の強制収容所売春宿で働いていた経歴の者もいた。戦争の闇を背負わされ、経済成長の恩恵にも預かれなかった者たちの末路。そんな底辺の中でもまた繰り広げられる搾取。そこで得られるのは醜い肉・肉・肉。ゲンナリしてしまいそうになるが、しかしこの構造の中で搾取者であるホンカがバーで呑んだくれる姿は愛らしくもある。そんな彼が史実通りに逮捕される幕切れではそれまでに散々前振りされたある仕掛けも相まってユーモラスで気持ちいい読後感が味わえるものになっており、題材だけ見れば残虐で陰鬱な話なのにどこかスッキリした気分になれる稀有な映画体験だった。
『ミッドサマー』
『ミッドサマー』観た。この世界には自分の常識や論理がまったく通用しない文化圏があるのではないか。辛すぎるトラウマを抱えた少女にとって、辛い現実、辛い世界とは隔たれた異世界の存在は救済なのかもしれず、ならば本作は異世界転生モノ亜種と呼べないこともない。スカッと歪め。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) February 22, 2020
ツイッターでは普段実写映画を観ないタイプのフォロワーも意外と観ていたりとコアな層に対して想定以上にヒットしている本作。個人的には本作の監督アリ・アスターの長編映画デビューでもある前作『へレディタリー/継承』が近年でもっとも「勘弁して」と念じながら観たホラー映画だけに(『犬鳴村』で言ったことと矛盾してんな)、大変期待していた。
観てみたら、たしかに超良く出来てる。ショッキングな映像から細やかな演出まで、スクリーンに映る全コマ隅々まで観る者に不安を抱かせるいや~な映画だ。しかし、『へレディタリー/継承』と比較すると結構あっさりと観やすい映画である。ネットでもネタ的に消費されている点からも分かるようにファーストルックからしてカルトを描いた作品であり、ひとつの家族の崩壊をじわじわと描いた『へレディタリー/継承』と比べて他人事として楽しみやすい作りであることも影響しているだろう。恋人がいるような方にはくるものがあるのかもしれないが、そんなことは私には全く関係がない。
だから私としては惨劇の舞台となるホルガへと移動するシーンで天地が逆転するショットや、メイクイーンになったダニーに贈られた花冠がまるで呼吸をするかのように影がうごめく様子など、本作が発する不気味さを全身で浴びるしかなかったわけで、テーマ的にもしんどい思いをさせられた『へレディタリー/継承』に軍配が上がる結果となった。
『初恋』
『初恋』観た。今の邦画に支配的な若い男女のラブストーリーと同時に現出する、かつて映画館にあったウルトラバイオレンスが炸裂する映画的な一夜。中盤のカーチェイスからのあまりのハイテンションとめちゃくちゃな面白さに感動。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) February 29, 2020
タイトルこそ『初恋』であるが、これは『魔法少女まどか☆マギカ』のようなもので、監督の名前を知っていたらこりゃもう普通の恋愛映画にゃならないなと事前に分かるといった仕掛けだ。問題はその監督である三池崇史のフィルモグラフィーがジャンルや良し悪し含めてあまりに多彩すぎて、今回はどちらの方角に振れているのか予想しにくいというところだが、結果としては会心の一作、傑作である。
余命宣告を受けたボクサーの男と、ヤクザに身売りされた囚われの少女。ちょっと不穏な単語があるがそんな二人の出逢いと初恋が描かれるという点だけを見れば、毎年何本か作られる余命宣告恋愛映画のような印象を受ける。しかし蓋を開ければ開幕から強烈なバイオレンスに始まり、クライマックスに至るまで次々と死体が積み重なっていく。主人公とヒロインの出逢いのきっかけに絡むヤクザと中国マフィアの抗争はかつて旺盛した任侠映画を思わせ、特に長年の刑務所暮らしからシャバに出たばかりの武闘派ヤクザ権藤は現代の日本=映画の中に生きる場所を失った存在として描かれており、だからこそ映画の中で死に場所を求めて大立ち回りを演じてみせる。
更にはケレン味たっぷりな三池演出に応えるかのよう存在感を示す、切れ者に見えて実はポンコツな頭脳派ヤクザ加瀬を演じる染谷将太や、彼氏を殺され復讐に狂った女ジュリを演じるベッキー。こうした周囲の人物が自由に暴れられるのもその中心で落ち着いた演技を見せる主人公の窪田正孝あってのもの。そんな彼らの人生がたった一夜の中で交差し、混迷の中で生死の狭間を綱渡りする様はあまりにもエキサイティングで、中盤のカーチェイスシーンで思わず涙。映画のストーリーに感動して泣くのではなく、映画の面白さに感動して泣くという経験を久々に味わえた一作だった。今年の邦画ベスト候補である。
『黒い司法 0%からの奇跡』
『黒い司法 0%からの奇跡』観た。これまでの人類史が築いてきた社会というシステムの誤りを正すことはこんなにも難しいのか。社会不安というバグが生じやすい環境下にあるいま、重くのしかかる一作。
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) February 29, 2020
アメリカの弁護士ブライアン・スティーブンソンの伝記映画。80年代になっても黒人への差別意識が根強いアメリカ南部のアラバマ州を舞台に、彼が初めて弁護をした黒人の死刑囚ウォルター・マクシミリアンの案件が描かれる法廷劇だ。
ウォルターの潔白を示す証拠があるにも関わらず虚偽の証言により死刑を宣告されたこの冤罪事件。そもそもが既に死刑を宣告された死刑囚の弁護というだけでも市民からの理解を得られないのに、それが人種的偏見と差別意識が色濃く残る地域とあってはその難しさは想像に難くない。ブライアンを演じるマイケル・B・ジョーダンの端正な佇まいはまさにヒーロー然としており、そんな彼が確固たる信念を持って闘う姿には惚れ惚れするが、現実はそう簡単に折れてくれない。
差別や偏見により生まれた冤罪の死刑囚という、アメリカ社会のバグ。それを修正することの難しさをこうして見せつけられると、それでは日本はどうだろうと考えずにはいられない。国際的に見れば死刑廃止国は増加傾向にあるが、日本では死刑反対の声を上げるだけでも勇気が必要なくらいには死刑容認の空気が根強い。仮に日本にはアメリカのような歴史的な人種差別がなかったとしても、今回の新型コロナウイルスのような社会不安が全国に広がればそこに社会システムのバグが生じかねず、本作で描かれるような不幸を再生産しかねない。
ではどうすれば良いか。その答えはこの映画にある。「正義」を誰かへの攻撃のためではなく誰かを守るために行使することだ。虚偽の証言をした証人や検察官を攻撃するのではなく、彼らの良心を信じて動く、ブライアンの姿を見習って。
おわりに
新型コロナウイルスによる混乱が続いている。3月は多くのイベントが中止となり、映画業界では『ドラえもん』新作を皮切りに続々と上映時期延期のアナウンスが続いている。特に子供向けアニメやディズニー作品など、ファミリー層をターゲティングした作品は特に慎重にならざるを得ないことだろう。このままさらに被害が拡大したら映画館自体が閉まることになりかねないが、どうなることやら。私としては、満員の通勤電車に乗せられている時点で休日に外出を避ける意味はないという考えで3月も映画館には足繁く通う予定である。
……とは言いつつも、アカデミー賞シーズンも終わり、2月の期待作の渋滞と比較すれば3月のラインナップは物足りなさを感じなくもない。個人的に照準を合わせている作品はエミール・クストリッツァ監督の新作ドキュメンタリー映画『世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ』ぐらいか。アカデミー賞関連では主演女優賞受賞の『ジュディ 虹の彼方に』や作品賞ノミネートの『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』があるが、方やまったく知らない人の伝記、方やまったく知らない有名原作モノと、どうも食指が動かない作品である。まあ、そんな月もあるか†01。
最後に、私の鑑賞記録はWorkFlowyにて5つ星評価でリアルタイムにまとめているので、興味があればウォッチして欲しい。
脚注
↑01 | と書いていた矢先に『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は夏に公開延期になってしまった。なんて月だ! |
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