【ネタバレ有り】カチカチうんこからやわらかうんこへ – 『スマガ』をプレイ3

はじめに

「Shoot the Miracle Goal」エンドを迎え、上のツイートのようにタイトル画面へと還ってきた。そう、物語が終りを迎えたのである。
エロゲーは、基本的に物語が終点に達するとタイトル画面へと帰還するものだ。本作もそれは例外でない。何十回も同じセカイで死を迎え、そのたびに蘇り、以前の生では思いつくことすら叶わなかった選択肢を掴み取り、そして奇跡的(Miracle・ミラ来る)なゴールに至ったのだ。

そして、プレイヤー(私)はまたタイトル画面から「Start」を選択する。なぜなら、まだ全てのエンドを迎えていないことを、うんこマンより高次の次元に立つ我々は知っているからだ。主に「Extra」モードで!

そんなワケで、「一回目でない」はじめから。ある意味強くてニューゲーム。また一段、メタの階段を登ったうんこマンとなって、「次なる物語」を語り始める段階に達した、今。

とりあえず、ここまでの、おそらく一般的なエロゲーで言うところの「共通ルート」の感想を簡単にまとめておこう。

好きキャラ

エロゲーなのでまずは何と言っても好みのヒロイン談義でしょってことで。

天才魔女の一匹狼! 大きなリボンで眩い桃色の髪をポニーテルにしたその姿!
ピンク髪+ビッグリボンの少女に惚れやすい私を狙い撃ちしたスピカのデザインには開始早々ノックアウト!

特に、自ら天才を名乗り、たった一人でセカイだとかウンメイだとかを背負った気になって、だけど、それまで被っていた孤高の仮面が剥がれたときに見せる人間的な弱さだとか、その弱さもまた乗り越えて凡人には決してたどり着けない場所までひた走る姿だとか、もう完全に炎道イフリナ系ヒロイン認定出るでしょう。てか認可。

主人公のみが記憶を維持する本作のループ構造において、第一に攻略されるヒロインであるスピカは、その後のループにおいても大きな役割を担う。
なんといってもうんこマン=オザキ=私にとって彼女は最初に結ばれた女性なのだ。一回目というのは何より運命的なのだ。そして、いつまでも引きずってしまうものなのだ。

その引きずりが後のガーネット、ミラのシナリオでもひと波乱を起こすのである。……この辺の詳細はシナリオ振り返りにて後述。

スピカ以外ではアリデッドが印象深い。ていうか、一色ヒカル姉さんが凄え、凄すぎる。
破天荒なギャグ演技もなんのその。しかし真骨頂はやはり諦念と期待とを複雑に交わらせながらうんこマンへと語らうシーンだ。うんこマンにとってはこのセカイで唯一記憶を維持できている存在、つまり同士でありながら、しかしセカイは変えられないと既に諦めてしまっている彼女は、常に大きな壁となる。
そんな彼女にもう一度戦う決意を蘇らせるミラシナリオ終盤の演技にはグッと来る。

「アタシ……たぶん、怖かったんだ」
「みんな夢になっちゃえば、忘れられると思ったんだ、」
「でも——なかなか、上手くいかねーな」

(中略)

「おいおい、なんだそりゃ!」
「今更アタシに優しくしてどーすんだっつの!」
「——別れが、辛くなるじゃねーか」

(中略)

「…………おいおい、待て待て」
「やめてくれよ。てめーの相手は、あのおチビちゃんだろ?」
「それ以上言われたら、好きになっちまうっつの」

特に「——別れが、辛くなるじゃねーか」の声の震えとか本当に神がかり的。

好きルート

好きなヒロインと好きなルートは必ずしも一致するとは限らない。

というわけで、それはもう、断然二周目のガーネットシナリオ、「Sad Mad Good-bay」
が大好きだ。
前回の記事でも触れたが、一度主人公にとってプラスな要素として提示されていたもの、本作で言う「人生リベンジ」能力が、逆に主人公に対してマイナスに作用し始めてしまうというダークな展開がたまらなく好きだ。

特に、シナリオ序盤の合宿におけるうんこマン自殺シーンは本作における白眉のシーンだと思う。
叶えたいのはスピカの幸せ。だけどセカイはそれを許してくれず、だからうんこマンは死を選び続ける。
その暴走の果てに、すがるような気持ちでガーネットを襲ってしまい……ここでの選択肢を誤った際に至るバッドエンドでは、「死んでも記憶を維持したまま蘇る」というチート能力の副作用として、時間が戻ることで罪を犯した事実が消えたとしても、うんこマンは記憶の中で罪を背負い続けてしまうという絶望の表現が面白い。死んでも終われない物語の中で、彼に与えることのできる唯一の救済が記憶の削除であり、彼が三人の魔女たちを救いたいというモチベーションが喪失された瞬間が物語の終わり(=タイトル画面への帰還)となるわけだ。

中盤から後半にかけては物語のセカイに関する種明かしがされる。セカイを記述するアルマゲストとなったガーネットがお利口さんポジションから反旗を翻して自分のセカイ観を前面化する。
魔女も悪魔もない、自らの不幸が運命づけられていないセカイ。
しかし、これまで生きてきてから自然と培われてきたセカイ観とは反するセカイをガーネットは維持できず、瓦解していく。
終わりゆくハリボテのセカイの中で、うんこマンとガーネットの二人だけがただひたすらに愛と幸福を確かめあい、そしてセカイは終りを迎える。流れるエンディングテーマは「真実の灯」。テクノポップ風なこの曲は、2番のサビがガーネットの悲痛をさらけ出しており強烈だ。

そう、有りのままで私のまま居られた時間は
あなたを信じた時間で
ほら、あなたとなら二人ならば怖くないだから
未来も信じた 真実の灯

物語の閉じ方と楽曲との調和具合に、個人的には『僕が天使になった理由』の奈留子恋人ENDを連想した。そして奈留子恋人ENDはマイ・フェイバリット・エロゲエンディングであることから、「Sad Mad Good-bay」エンドのお気に入り具合も推して知るべし。

Shoot the Miracle Goalとハッピーエンド

本作の面白いところは、ループものらしく大筋で発生する事態は同様のものを繰り返しながら、しかし周回ごとにそれぞれ異なる楽しさを提示できている点だ。

「SHE MAY GO」では完全なる「一回目」らしく、数多くの謎とともに「ヒロインが簡単に死にうる」というハードなセカイ観をプレイヤー提示しつつ、運命に翻弄されるヒロインであるスピカとの純愛物語としてストレートに仕上げられている。

「Sad Mad Good-bay」は「SHE MAY GO」を反転し、「人生リベンジ」能力の負の側面を見せつつ、早々のスピカの退場とあわせて悲劇テイストを増している。謎解きと合わせたシリアスストーリーとして、先述の通り屈指の出来栄えだ。

「Shoot the Miracle Goal」ではこれまで積み重ねられた経験が大きな障害となり、必然的にゲームはハードモードへ突入する。スピカとガーネットとは三角関係へとこじれ、選ばれなかった魔女がアルマゲストとなってすぐさまセカイは消えてしまう。
一般的なセカイ系の定義としての「関係性が世界の終わりと直結する」セカイ系的な面白さはこのシナリオが秀逸だ。ヒロインの悲しみが何もかもを飛び越してゲームオーバーを引き寄せる。
もちろん、プレイヤーはこれまで愛してきた二人の魔女のどちらも悲しませたくない、不幸にしたくない。しかし中途半端な振る舞いはより彼女たちの互いの憎悪を深めてしまう。よけいにこじれてしまう。
そんな三角関係を外側から解そうと奔走するのが最後のメインヒロインであるミラだ。彼女は、ある驚きの方法で三人の硬直を解消してしまう。詳しくはここでは伏せるが、つまりは『ハーレムゲーム』である。「これはエロゲーですから。気持ちよければ良いのです」。その潔さにニヤリ。

その潔さのまま、「人生リベンジ」をも超えるアクロバティックなご都合主義を積み重ねながら物語はバッドエンドを乗り越えていく。ヒロインがスピカやガーネットといったなんでも難しく考えてしまうオトナではなく、よりシンプルにみんなの幸福を追求するコドモのミラだからこそ採れるストーリーテリングは、ついに全てをひっくるめて完璧なハッピーエンドへと突き抜ける。

……そんな完璧なハッピーエンドの代償として、なんだかメタ次元に大きな謎やら問題やらを置いてきた気もするが、それは後の私に任せることとしよう。どうやらまだ7つエンディングがあるようだ。それらが終わる頃には、物語の外部も含めてきっと完璧を極めてくれるはずだろう。

おわりに

ただ一点、本作には何らかの落とし前をつけてほしい件がある。
それは、本作のメタフィクション的構造上必然的に生じる、作中のキャラクターが自らが物語の登場人物に過ぎないということを意識的にせよ無意識的にせよ知覚してしまうという実存主義的問題だ。
この点が気になったのはやはり「Shoot the Miracle Goal」における日下部雨火の葛藤である。
自らがただ創作者から役割を与えられただけのNPCでしかないという残酷さ。この問題をいったいどのような形で超克してしてくれるのか、くれないのか。そこに注目したいと思う。


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